「アグルのことば」箴言の黙想 学び第15回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2024.12.15)より
聖書箇所:箴言 30章 1~9節

箴言の最終章である30章はソロモンではなく、

アグルという人によって受けた知恵です。このアグルについては、ここに出てくる以外に聖書でどこにも見つけることができません。彼は、「自分は人間の中で最も愚かだ」と言っています。似たようなことを言った人がいますね?そうです、使徒パウロです。「私はその罪人のかしらです。」(テモテへの手紙第一 1章15節)と言いました。

私たちが、本当に聖霊さまに触れられるとき、本当に神さまの知恵に触れるとき、自分がいかに知恵のない者であるか、自分がいかに罪人であるかに気づきます。そして、神さまの計り知れない知恵に圧倒されるのです。ここでアグルは、天地創造の神さまに、「子」がいることを言及しています。それは聖書全体を通しての価値観です。

「御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。」
コロサイ人への手紙 1章15~17節

神の知恵と知識に圧倒され、自分が愚かであることを悟ったアグルは、

自分の拠り所を決めました。それが、神のみことばです。私たちの頭の中ではいつも格闘があり、それは自分の悟り、自分の理解・知恵と、神さまの知恵・みことばの真実さとの闘いです。自分では理解できないこと、理屈にかなわないことが起こると、自分の悟りが絶対でないことを教えられます。だから、力を尽くして主に拠り頼み、主の命令に聞き、主の約束に期待するのが私たちには良いことなのです。神のことばに「付け足しをしてはならない」とアグルは言っています。私たちはみことばを聞いても、どうしても自分の言い分や、自分の知恵も混ぜ合わせて考える傾向があります。お互いに、みことばだけに立つ信仰が与えられますように祈りましょう。

最後に、アグルは非常に謙虚な願いを神さまに2つ申し上げています。

・むなしいことと偽りのことばを、私から遠ざけてください
・貧しさも富も私から遠ざけてください

2つの極端から私から遠ざけてくださいという祈りです。貧しいことが美徳であるかのように教えるクリスチャンもいます。また祝福されることがクリスチャンの常識だと教える人たちもいます。アグルはそのどちらでもなく、神さまの恵みで歩む道を求めます。アグルは、貧しくなったら盗みをして、神さまの御名を汚してしまうかもしれない。富んだら神さまの恵みを忘れてしまうかもしれないと、だから私に定められた分で満足できるようにしてくださいと求めているのです。神を恐れることが知恵の初めです。いつもその出発点に戻りましょう!ハレルヤ!

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