「寄留者エリヤ」 カバーリングの学び 第1回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.1.12)より
聖書箇所:列王記 第一 17章 1~7節

ギルアデの住民であるティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによるのでなければ、ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない。」

エリヤから外套(覆い)をかけられて、

エリヤの外套持ちとしてその祝福の中で生きることを学んだエリシャ。。。その生涯を通して、神さまのカバーリングの中で生きて行く信仰について学んでいきましょう。

エリヤは「ギルアデの住民(ティシュビー)であるティシュベ人」とあります。原語で言うとティシュビー(族)は、寄留者を意味します。つまりエリヤは、ティシュベからギルアデに移ってきた寄留者であると言うことです。地上では旅人、そのアイディンティティーがエリヤにはあったかもしれませんね。エリヤがどのような背景をもった人物なのかは聖書にはあまり書かれていませんが、イスラエルが霊的に急降下状態であったときに、名もない寄留者エリヤが立ち上がります。『主こそ神』、それがエリヤの名前です。そんな寄留者であるエリヤが、当時の最高権力者であるアハブ王の前に出ていき、いのちをかけて神さまのことばを伝えます。

「義人の祈りは働くと、大きな力があります。エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。」
ヤコブの手紙 5章 16~18節

エリヤは祈りの人でした。私たちと同じような無名の小さい者であったけど、でもそのような小さい者の祈りを通して、神は大きな働きを見せてくれます。

エリヤのより所は、いつも神さまのことばでした。

神さまは、エリヤにヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠すように命じました。飢饉の中で、この命令はとても大きなチャレンジでした。ただでさえ飢饉なのに何もない隠れた所に行って、鳥(カラス)が自分を養うという神さまの約束は、普通では到底考えられません。しかしエリヤは、その神さまのことばに信仰によって従います。家もない、土地もない、寄留者であるエリヤにとって、彼の拠り所はいつも神さまの御声でした。預言者は神の声を聞き、語る、だけではなく、自分も神のことばによって生きる者でした。苦しい時ほど、エリヤは神さまのことばに拠り頼んだことでしょう。祈ったでしょう。他に拠り頼むものは何もないからです。

「これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。」
へブル人への手紙 11章13節

神のカバーリングの中で生きる

寄留者の特徴は、神さまのカバーリングの中で生きていることを自覚する者です。エリヤのように非現実的なことにしか思えないことにも、神さまのみことばならそれに従おうと生きる者が寄留者です。あなたは寄留者ですか?地上では旅人であり、寄留者であることを告白して、あなたも神さまのカバーリングの中で生きてみませんか。ハレルヤ!

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