「かめの粉は尽きず、その壺の油はなくならない。」カバーリングの学び 第2回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.1.19)より
聖書箇所:列王記 第一 17章 8~16節

前回のストーリーでは「小さい者エリヤ、寄留者エリヤ」について学びました。寄留者エリヤが、当時の最高権力者であるアハブ王の前に出ていき、いのちをかけて神さまのことばを伝えました。でもそのような小さい者の祈りであっても、主は祈りを通して大きな力を働かせてくださいました。さて、そのエリヤにまた新しい神さまのことばが臨みます。

①みことばを体験する

「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしはそこの一人のやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」
列王記 第一 17章9節

神さまはなぜ、初めから直接ツァレファテのやもめの所へエリヤを遣わされなかったのだろうか?なぜ烏(カラス)に養われる必要があったのか。そこには神さまの知恵が隠されているように思えます。信仰者にとって、霊的に整えられるためには準備と訓練と時が必ず必要になってきます。

神さまに従うときに起こる多くの試練は、神さまに拠り頼むことを学ぶ訓練と成長の時でもあります。その中で私たちは、神さまの恵みを深く味わう時を体験するのです。ケリテ川のほとりで神さまから養われる経験を十分に受けたので、エリヤはツァレファテのやもめに確信を持って、わずかに残った粉と油で最期のパンを自分に要求することが出来ました。神さまのことばを体験しているたからです。みことばに対する確信が養われることこそが、神さまのカバーリングの中で憩う秘訣ですね。

②日毎に祝福を味わう

「イスラエルの神、主が、こう言われるからです。『主が地の上に雨を降らせる日まで、そのかめの粉は尽きず、その壺の油はなくならない。』」
列王記 第一 17章14節

エリヤが飢饉が終わるまで、わずかな粉も油も尽きることはないと言うことは、この後幾度となく自分たちの信仰が試されることを意味しています。エリヤがやもめの家で過ごす間、これらが増加したとか、増え広がって満ちたという記録はありません。ただ尽きることがなかったのです。簡単に言うと、3年半その家にはひと握りの粉とわずかな油しかなかったのです。やもめが毎日パンを作るとき、彼女は持っているものを全部使わなければなりませんでした。それでも、次の食事を備えるとき、決して粉と油が不足することがなかったのです。日毎に、その祝福を覚えることが出来るとは何というか恵みでしょうか。最後に、神の人のことばを信じて、エリヤに最期のパンを与えたやもめの信仰は驚くべきことですね。神さまのみことばに服従する者でありたいですね。ハレルヤ!

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