「この子のいのちを戻してください」カバーリングの学び 第3回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.1.26)より
聖書箇所:列王記 第一 17章 17~24節

彼女はエリヤに言った。「神の人よ、あなたはいったい私に何をしようとされるのですか。あなたは私の咎を思い起こさせ、私の息子を死なせるために来られたのですか。」
列王記 第一 17章18節

さて、エリヤを通して食べるものが与えられ

神さまの祝福(みことば)を味わい、雨が降らない飢饉の中にも少し希望が見え始めます。神さまの不思議な御手によって守られ、日々その恵みを味わい、感謝と喜びをひしひしと感じる日々だったでしょう。どうでしょうか?この少しの幸せを味わう感覚は、みなさんも理解できるのではないでしょうか。しかし、そんな日々にさらなる試練がこのツァレハテのやもめにやって来ます。それが愛する息子の病いと死です。突然愛する息子を失い、今までの幸せは嘘のように消えていき、失望が彼女の人生を覆います。もともとあの時、飢えてい愛する息子と一緒に死ぬはずだった。その方が良かったのではないか。なぜ神さまは、またこんな辛い仕打ちを私に与えるのだろうかと。。。

彼女は確かに一度、望みある人生へと変えられました。望みないときに望みを得ました。それまで知らなかった人生の素晴らしさ、大きな慰めを味わいました。エリヤによって救いの喜び、恵みを知り、だからこそもっと自分の人生に期待し、希望を抱いて良かったはずではないでしょうか。でも息子の死を通して、神さまへの期待が分からなくなってしまいます。やもめは、息子が死んだのはエリヤのせいだとばかりに批判します。やもめは大きな悲しみを前にして、深く失望し、その現実を受け入れることが出来なかったのでしょう。

エリヤはそのような状態にあるやもめに対して

「あなたの息子を渡しなさい。」と言って、罪責感に苦しむやもめから、その問題を引き離しました。そして、彼が泊まっていた屋上の部屋に息子を抱えて上がり、エリヤの祈りが始まります。神さまなぜ!どうしてですか。「主よ。どうか、この子のいのちをこの子のうちに戻してください。」と切に祈ります。いのちを戻してください。いのちを返してください。あなたの霊に生きる者としてください。あなたの喜びを戻してくださいと。。。エリヤは、死んだ子どもの上に3度も身を伏せて祈り続けます。すると、少しずつ体温が上がり、いのちがよみがえったのです。

愛するみなさん、この奇蹟を通して何を見ますか?この息子とは誰でしょうか?「それは私です」と告白できる者は幸いです。イエスさまも私たちのために絶えずとりなして祈ってくれています。「この子にいのちを戻してください。いのちを返してください。あなたの霊に生きる者としてください。」と。イエスさまがいのちの息を私たちに吹き込んでくれます。そして私たちは御霊により生きる者とされるのです。そして教会に喜びが満ち溢れます。ハレルヤ!

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