「7度目を満たす祈り」カバーリングの学び 第7回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.2.23)より
聖書箇所:列王記 第一 18章 41~46節

彼は若い者に言った。「さあ、上って行って、海の方をよく見なさい。」若い者は上って、見たが、「何もありません」と言った。するとエリヤは「もう一度、上りなさい」と言って、それを七回繰り返した。
七回目に若い者は、「ご覧ください。人の手のひらほどの小さな濃い雲が海から上っています」と言った。エリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下って行きなさい。』」
列王記 第一 18章43~44節

カルメル山での戦いは、

エリヤの圧倒的な勝利で終わったかのように思われますが、しかしまだ、雨が降っていないのです。霊的な戦いに勝利しましたが、この地にはまだ雨が注がれていないのです。エリヤはカルメル山の山上に登り、ひざまずいて祈ります。3年半の干ばつの中で多くの人々が苦しみ、亡くなったことでしょう。渇いた地にどうしても雨が必要でした。エリヤは祈りの途中で付き人の若い者に、山頂に登り「海の方をよく見なさい、何か変化が起こっているか?」と尋ねます。しかし、何の変化もありません。一度目も、二度目も、六度目まで、全く変化はないのです。でも、7度目に手のひらほどの小さな濃い雲が。

みなさん、エリコの城壁が崩れるときはどうでしたか?

ヨシュアは、一日一度、エリコの町の周りを歩いて進むようにイスラエルの民に命じます。ここでも同じように6日目まで何も起こりません。2日目も、3日目も、6日目まで同じように、ただエリコの町の周りを周るのです。ただ言われたとおり毎日、くる日もくる日も主のことばに従順してエリコの城壁の周りを周るのです。そこで私たちは思います。「この方法はあっているのか。こんな方法で達成できるはずがない…。どうせ変わらない」と。。。

私たちは、手応えが欲しいのです。何か動き出している変化が見たいのです。特にリーダーになるとよく分かります。民の前で何か手応えが欲しくなるのです。2日目、3日目に少しでも城壁の小石がポロポロと落ちてきたら、良し!これはいけると思い続ける意欲も湧いてきます。しかし、変化がないとすぐ違う方法を試したくなるのです。

ここでも、エリヤのしもべである若い者は

7度も山頂に上っていかなければならなかった。何の進展もないように見えたけど、7度目を満たすと急に、突然、物事が動き出します。城壁が崩れます。完全な癒しが起こります。小さな雲が現れた後は、急展開して、大雨が降り注ぎます。ハレルヤ!私たちは、いかなる状況においても、神さまのみことばに対する確信と希望を持って祈るとき、必ず7日目はやって来ます。聖霊を注いでください。日本にリバイバルを起こしてください。主よ、見せてください!と祈る者でありましょう。

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