岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.3.2)より
聖書箇所:列王記 第一 19章 1~8節
エリヤは、バアルの預言者たちとの霊的戦いにおいて
圧倒的な勝利をもたらしました。そして乾いた地に恵みの雨が注がれました。しかし、それを目の当たりにしたはずのアハブ王は、王宮に戻るとその妻イゼベルにエリヤがバアルの預言者たちを剣で殺したことを告げ口します。イゼベルに対してイスラエルの王でありながら恐れを抱き、夫として毅然として立つことが出来ない姿が見えます。するとイゼベルは案の定、怒りに満ち溢れ、エリヤを呪い、彼を捕まえて殺すように遣いを出します。エリヤはカルメル山で劇的な大勝利を治めたけれど、一人の女性の呪いに恐れをいだいて逃げ出します。霊的な失望と憂鬱の中で、エリヤは自分の死を願うほど憔悴しきってしまいます。
神さまのカバーリング
そんな時、神さまがエリヤに寄り添い、慰めを与えてくれます。まさに主のカバーリングです。失望しているエリヤを、神さまは責めることはありませんでした。神さまは彼を慰め、彼の心を強めて新しい力で満たそうと、十分な休息と回復のために食事を用意し、エリヤをホレブの山に導いてくれます。ここから学びたいことがあります。「神の視点から自分の人生を見る」ということです。私たちの見ている視点が、私たちの生きる方向性を決めていくことになります。私たちがこの世の価値観で自分の人生を見ているなら、自分の人生の方向性が見えなくなってしまうことがあります。しかし天におられる神さまの視点に標準を合わせるなら、見える世界が変わってきます。
私たちの人生におけるいのちも、時間も、才能などの賜物も
すべて、神さまから大切に管理するように与えられている預かりものです。自分のいのちさえ、自分のものではありません。私たちが自分で持っていると思っているものはすべて、家も地位も、自分が稼いだお金さえ神さまから管理するように預かっているものにすぎません。そして神さまは、この地上で与えられるすべてのものに関して、私たちがそれらを忠実に管理するようにと願っておられます。神さまは、私たちから能力以上のものは要求されません。与えるのも、取られるも神さまの計画のうちです。私たちがより頼む神さまは、成功するときも、失敗するときも、私たちに対して真実でいてくださいます。神さまはあなたに預けた祝福を、あなたが喜んで忠実に活用することを期待しています。
2人の忠実なしもべは、神さまの視点から自分を見れていました。自分は失敗もするし、弱さもある。もしかしたら預かっているものを失ってしまうかもしれない。でも彼らは、それらを使うことを選びました。神さまの視点で自分を見るとき、預かったものを使った時点で、それらを失う心配をする必要はありません。神さまのことを信頼し、主のために行動するなら、あなたの人生を妨げるものは何もないのです。ハレルヤ!