ただ一時間でも

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2025年3月号より

「それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、彼らが眠っているのを見、ペテロに言われた。『あなたがたはこのように、一時間でも、わたしとともに目を覚ましていられなかったのですか』」
マタイの福音書 26:40

あなたにとって一番大切なことは何ですか?
「愛されることです。」
あなたができる最高の生き方は?
「愛することです。」

先日台湾に行き、ロス牧師夫妻とたくさんの時間を過ごしました。移動中の車での時間、食事の時間、ミーティングの時間、礼拝の時間、祈りの時間すべてにおいて溢れるばかりの愛を注いでくれました。本当に息子のように愛してくれました。「我が息子よ!」と呼んでくれるだけではなくて、表情や行動のすべてで愛を現してくれました。愛に生きることこそ、私たちの人生で最も大切な目的であることを、いつも僕に示してくれます。そのために貴重な時間を僕にささげてくれます。

時間というものは、何にも代えることのできない貴重な財産です。お金なら増やすことができます。失ったものも取り戻すことができるかもしれません。でも時間は増やすことも取り戻すこともできません。

あなたが誰かのために自分の時間を使うということは、もう二度と戻ってくることのない自分の時間を、その人のために与えていることになるのです。それはあなたの人生の一部を、その人のために使っているのです。共に過ごす時間。。。祈る時間。。。話を聞く時間。。。ただ一緒に居るだけの時間。。。その時間こそ、あなたが人に与えることのできる最高の贈り物なのです。

イエスさまも弟子たちと大切な時間を共有しました。人生を共有しました。十字架にかかる数時間前、イエスさまは弟子たちを連れてゲッセマネへ祈りに行きます。共に最後の苦しみの時間を近くで共有して欲しかったのです。でも弟子たちは眠ってしまいました。あとで振り返れば、ペテロはどれほどそのことを悔やんだでしょうか。しかしそれ以上に、自分を最後まで近くに呼んで時間を過ごしてくれたその愛は、彼の人生にどれほど勇気を与えたことでしょう。ただ一時間でも、イエスさまのために、愛する者のために時間をささげる者でありたい。
イエスさまの愛に感謝します。
ハレルヤ!

牧師 佐藤耕二

日本語訳聖書は「聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会」を使用しています。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする