岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.4.13)より
聖書箇所:列王記 第一 22章
ここでは、イスラエルの王アハブの最後が記されてあります。
イスラエルの王アハブは、ユダの王ヨシャパテと一緒にラモテ・ギルアデ(アラム)に戦いに行こうと持ちかけます。イスラエルの王は、自分に近しい約四百人の預言者を集めて、「私はラモテ・ギルアデに戦いに行くべきか。それとも、やめるべきか。」とたずねます。彼らはみな、「あなたは攻め上ってください。主は王様の手にこれを渡されます。」と答えます。皆、王が喜ばれることを言っているに過ぎません。ユダの王ヨシャファテは、「ここには、われわれがみこころを求めることのできる主の預言者が、ほかにいないのですか」と質問します。そこで連れてこられたのが預言者ミカヤです。
列王記 第一 22章19節
ミカヤは、天上での会議の様子を話し出します。そこでは神さまは、アハブ自身が願うとおりにラモテ・ギルアデに行かせて、そこで彼を死なせることをお許しになります。そして、驚くべきことに、そこにひとりの霊が進み出て、『私が出て行って、彼のすべての預言者の口で偽りを言う霊となります。』と答えます。そう、悪霊の仕業です。ヨブ記にも出てきますが、天の御座の前にサタンも出てきます。サタンや悪霊は、もちろん神に反抗する霊どもですが、神さまは全能者であられ、彼らが動くのを許されています。
神さまは、どうしてサタンをただちに処罰しないで、放置しておられるのでしょうか?
その答えは、はっきりは分かりません。私たち人間には理解不可能です。例えば、「エデンの園の出来事」とか、「ヨブの体験」とかも、なぜ神さまは?と答えるのは難しいです。でもひとつだけ言えることは、私たちが同意しない限り、サタンは私たちに影響を与えることができないということです。全ての人が、誘惑に会います。しかし、心を開いて同意しない限り、サタンは私たちを支配することはできません。アダムやヨブがサタンの試みを受けたのは、その試みを通して、彼らがより高い信仰の段階へ引き上げられるためでした。試みなくして、信仰の成長はあり得ないのかもしれません。何よりイエスさまが神の右の座で、私たちのためにとりなし祈ってくださっていることを覚えましょう。私たちも、いつもみことばに立ち、悔い改めをもって主の御声に聞き従って行きましょう。新しい契約の時代、聖霊さまが私たちのうちに住まわれていることに感謝しましょう。ハレルヤ!