「人生を変えた外套=覆い」カバーリングの学び 第16回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.4.27)より
聖書箇所:列王記 第二 2章 1~14節

渡り終えると、エリヤはエリシャに言った。「あなたのために何をしようか。私があなたのところから取り去られる前に求めなさい。」するとエリシャは、「では、あなたの霊のうちから、二倍の分を私のものにしてください」と言った。列王記 第二 2章9節

エリヤのカバンもちエリシャが、

師匠が天にあげられる最後の時まで忠実にエリヤに従ったストーリーがここに記されてあります。エリヤがエリシャに、ここにとどまっていなさいと言っても、預言者仲間がエリシャに忠告しても、「いや、私はあなたについて行きます。決してあなたから離れません!」と言ってエリシャはエリヤについて行きます。エリシャがどれほどエリヤを慕っていて、彼との交わりを喜び、感謝していたのかが伺えます。

二人の最初の出会いは、ただ畑を耕していた若者に、エリヤは何も言わず「外套をかけた」だけでした。なのに、エリシャは牛や父・母を置いて、すぐにエリヤに従って行くのです。エリヤは「私があなたに何をしたのか?」と言いますが、この何でもない外套が、静かで目立たないひとりの若者の魂を変えてしまったことは明らかです。これから後、エリシャはエリヤの外套持ちになっていきます。そして、すべてを捨ててエリヤに従って行く中で、いろいろな奇蹟や、知恵を体験していきました。この外套には何の意味があるのでしょうか?

火の戦車と火の馬が現れ、二人の間を分けた時、

エリシャはこれを見て「わが父、わが父」と叫びます。ここでエリシャは初めて、エリヤのことを「わが父」と呼びます。エリシャが求めた二倍の祝福は、長子の権利でもありました。外套を与えるということは、彼らの文化では自分の子とすること(養子とすること)を意味していたと思われます。この外套は、そのカバーリングを意味します。エリシャが最後に求めた2倍の祝福。エリシャが言いたかったことは、「ただあなたのカバーリングが欲しい」だったのではないでしようか。

「あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。
キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。」
ガラテヤ人への手紙 3章26~27節

私たちも同じように、神の子どもです。イエスさまを着ているのです。十字架のカバーリングの中にいます。父の心、その外套は、アダムに対しても、ヨセフに対しても、放蕩息子に対しても、そして私たち一人ひとりに対しても着せてくださる、父の子どもとしての特権、カバーリングです。私たちの願いは何でしょうか?あなたの外套の中にいることですと、祈る者は幸いですね。ハレルヤ!

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