岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.5.25)より
聖書箇所:列王記 第二 4章 8~17節
シュネムに住む裕福な女性
今日の箇所の文脈の前は、預言者の夫を亡くした貧しいやもめの話しでした。貧しい預言者のともがらの妻には2人の息子がいたが、この裕福な女には子どもがいませんでした。このストーリーは、意図的に2人の女性を対比させているように見えますが、そのどちらの人生にも神さまの祝福が注がれていきます。このことを通して、神さまは私たちそれぞれの人生において、神さまの計画を現してくださることを学びましょう。
霊的リーダーを心から愛し、祈りに覚え、仕えるところに神さまの栄光が現される
シュネムの女は、エリシャを“神の聖なる方”と認め、エリシャをもてなします。彼女はエリシャのために、特別な部屋を用意します。頑丈な壁を作り、できるだけ静かに過ごせる空間を作ります。寝台と机といす。燭台を用意します。神さまとの深い交わりを持つ場所です。そして旅人に必要な水と食事を提供して、エリシャに仕えます。その姿は、主の働き人のために、また教会のために誠実に謙遜に仕える者たちのようです。神と人とに仕える者たち、霊的リーダーを心から愛し、祈りに覚え、仕えるところに神さまの栄光が現されます。
エリシャはゲハジを通して、彼女が何かを望んでいないかを尋ねます。しかし、彼女は何の代価も望みませんでした。
心の奥底の諦めや失望に、神の光が注がれる
現在の状況に満足しています。それ以上求めるものはありませんと、ここに主への奉仕の心が見えます。私たちの心を見られる神さまは、心から仕える者たちを見られ、喜ばれます。そして、その行いと心を祝福してくれます。彼女はエリシャに何の代価も求めずに仕えましたが、エリシャは彼女の奉仕に感謝し、報いを与えることを望みました。これが神の国の祝福です。誰も見ていない、小さい者のひとりに与えた水一杯でも忘れないのが私たちの父なる神さまです。人に見せるためではなく、見えない神さまに心から喜んで仕える者でありましょう。代価を求めない姿こそ、イエスさまの姿ですね。イエスさまに似る者として歩めますように、聖霊さま助けてください!
エリシャはシュネムの女を呼び出し、一年後に子どもを産むだろうと約束します。でも彼女は「そんなむなしい希望を持たせないで欲しい」と言います。みなさんも、彼女の気持ちが分かることでしょう。「満足している」と言った言葉には嘘はなかったかもしれませんが、彼女の心の奥底にはあきらめていた、失望していた思いがありました。そこに光が注がれます。神さまは彼女に希望を与えたかった。彼女は、神さまには限界がないことを、必ず約束を成就されることを知るのです。ハレルヤ!