岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.6.1)より
聖書箇所:列王記 第二 4章 18~37節
神さまのカバーリングの中で生きる!
このテーマで、最近ずっと学んでいます。私たちの人生には、予期もしない色々なことが起こります。想像もしなかった良いことも起こりますが、予期せぬ試練が襲うこともあります。シュネムの女性も恵みにより、思ってもみなかった息子が神さまから与えられました。でもその子が大きくなったとき、突然予期せぬ出来事が起こり、その最愛の息子が死んでしまいます。あきらめかけていた人生に光が差し込んで、いのちの喜びに満ちていたのに。。。突然、その希望の光がなくなってしまう。見えなくなってしまう。この世で生かされている間は、どんなに正しく歩もうとしても困難が訪れます。クリスチャンであっても、それは避けられません。そのような中でどのように私たちは主に信頼するのかが問われます。
彼女はとっさに
屋上に用意したエリシャの寝台にその子を寝かせ、夫の質問にろくに応えず、エリシャのもとに向かいます。死んだ息子を生き返らせるためにエリシャのところに行くと言ったって、決して理解してもらえないことを彼女は分かっていたのでしょう。夫は常識的で、律法的な人だったように思えます。とにかく彼女は息子が死んだことを夫に知らせずに、急いで出かけていきます。カルメル山に近づいたとき、エリシャは先に彼女を見つけ、使いを出し、「あなたは無事ですか。あなたのご主人は無事ですか。お子さんは無事ですか」と問います。しかし彼女は「無事です。」「何でもないです。」と答え、エリシャのもとへひた走ります。
そして彼女は、ついにエリシャの前で心の思いを吐き出します。ゲハジにではなく、エリシャに直接、自分の問題を伝えます。私たちの祈りも、そのようでありたいと願います。まずイエスさまに問題を持っていく者でありましょう。そして、ここからがシュネムの女性の信仰の強さが見られます。
つまり、「エリシャが一緒に来て息子を癒してくれるまでは、私はあなたを離れません。」という告白です。私たちの思いではあきらめてしまいたくなることがあると思います。でも、目の前にあるどんな絶望的なことでも、私たちがただ神さまに訴えかけて求め、祈るなら、神さまはその祈りを聞いてくださいます。主は、主を慕い求める者の祈りを聞いておられます。ハレルヤ!