神の家族としての交わり

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2025年6月号より

「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。」
詩篇 133篇1節

聖書の価値観であるキリストのからだとして属する神の家族が、私たちには必要です。その家族としての交わりについて具体的に考えてみましょう。

その家族としての交わりは、表面的な、うわべだけの関係では成り立ちません。家族の中で仮面を着けて、何か装っているように演じている関係なら、本当の家族の関係から離れてしまいます。
それは、神さまとの関係も同じです。本物の交わりは、自分の気持ちを正直に表し、告白し、訴え、求め合う関係です。それは、ただ自分の言いたいことを言う関係ではありません。なぜならこの関係は、永遠に無くなることのない関係だからです。
本物の交わりに必要なのは、互いに与え、互いに受け取り、互いに頼り合い、互いに建て上げられる関係です。
それは牧師も、リーダーたちも同じです。お互いに責任を分担し、役割を果たすのです。互いに励ましを受けること、互いに霊的賜物を分け合うことによって共に組み合わされていくのです。お互いに、お互いが必要なのです。

また、お互いを思いやり、認め合うことによって、心からお互いを喜び、苦難を共にすることができます。涙も喜びも共に共有できる神の家族は最高ですね。

そのためにどうしても必要なことが赦し合うことです。それは、イエスさまのあわれみを経験することでもあります。イエスさまのあわれみを知り、赦された者がそのあわれみを流すことができます。そして、それが出来るのが教会です。イエスさまの十字架によって一つにされているからです。
赦しのないところに、本物の交わりは生まれません。赦すことは、過去を手放すことでもあり、未来に期待していくことでもあります。古いものは過ぎ去って、すべてが新しく変えられます。それが、イエスさまの十字架により築き上げられていく関係です。

あなたの前に置かれたこの交わりを喜びましょう。神の家族の交わりに、いつも聖霊の喜びが満ち溢れますように祈りましょう。そこに属していることの幸せに感謝しましょう。神さま、最高の神の家族をありがとう!なんというしあわせ!
ハレルヤ!

牧師 佐藤耕二

日本語訳聖書は「聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会」を使用しています。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする