岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.6.15)より
聖書箇所:列王記 第二 5章 15~27節
列王記 第二 5章26節
アラムの軍の長ナアマンは癒しを受けたあと、
すべての者を引き連れてエリシャのもと帰ってきて、神さまをほめたたえます。イエスさまが10人のツァラアトの人を癒されたとき、喜んで帰ってきたのは1人だけでした。ナアマンはその1人のようにエリシャのもとに帰ってきて、持ってきた贈り物を受け取って欲しいとエリシャに差し出します。ナアマンはしきりに受け取ってくださいと勧めたが、エリシャは頑なに断ります。エリシャのその信仰を見て、ナアマンはますますエリシャの仕える神さまに注目するように変えられていきます。神の恵みにより、神の救いを経験したナアマンは、神さまの導きに従いたい!と心から願うようにされました。
しかし、これからアラムの国に帰らなくては行けない。ナアマンはその国の軍の長でした。王に仕える身分として、王が偶像の神を拝むときに、自分も一緒に行って身を低くしなければならない。どうかそのことを赦して欲しいとエリシャに願います。難しい願いのように思われますが、エリシャは「安心して行きなさい」と励まします。あなたの信仰があなたを救うからです。いずれ、ナアマンは王に対しても証しするようになるでしょう。
20節〜、ここからエリシャのしもべゲハジが登場します。
ゲハジはエリシャが贈り物を断ったのを知ると、「何としたことか」「絶対に何かをもらって来よう」と、その富に執着します。神の恵みによりなされたナアマンの癒しなのに、自分の欲のためにその報酬を受け取ろうとします。神さまの恵みを、自分の欲を満たす手段や機械に利用しようとするサタンの誘惑ですね。エリシャはそのことを良く知っていました。そしてゲハジに言います。「今はそれを受ける時だろうか!」
長い間の努力と献身を一瞬に吹き飛ばしてしまう
しかしゲハジは、それを悟れませんでした。彼は、欲に負けてしまいます。そしてそこから偽りの罪を犯していきます。主の働き人でも、この罠にかかり、長い間の努力と献身を一瞬に吹き飛ばしてしまう時があります。だから私たちは、霊的目を絶えず覚ましているように心がけなくてはいけません!経済も重要ですが、それより優先すべきことがあります。神さまの働きを妨げることがないように、祈る者でありましょう。私のためにも、教会のリーダーたちのためにもお祈りください。そして、みなさん一人ひとりも、神の恵みを、自分の欲のために求めることがないように、神さまのことば、神さまの時、神の計画を悟る者であるように祈りましょう。ハレルヤ!