岡崎ホープチャペル発行の週報(2025.7.6)より
聖書箇所:列王記 第二 6章 24節 ~ 7章 2節
アラムの王ベン・ハダテによりイスラエルは絶望的に状況な陥ります
普段なら食べることのないろばの頭が、銀80シェケル(重さ=11.4グラム)、通常なら920リットルもの穀物を買える金額です。また鳩の糞が、銀5シェケル、通常なら57リットルもの穀物を買える金額で売られている。そもそも鳩の糞なんて食べることはありませんでした。それほどイスラエルは絶望的な状態でした。ひとりの女が助けを求めに来ますが、王は自分にできることは何もないと答えます。イスラエルの王はこのような状況になるまで、神さまに正しく仕えようとしなかったのに、災いが起こるとまるでそれは神のせいだと責任を転嫁します。
しかし王は、さらに絶望的な話しを聞きます
自分の子どもを食べなければならないほどの悲惨な状況を目の当たりにします。王は荒布を着て、一見悔い改めているように見えますが、その心は神さまに対する憎しみで満ちていました。その憎しみがエリシャに対する敵対心として表れてきます。神への反抗が、神に忠実に歩むエリシャに向くのです。私たちも注意しなくてはなりません。神さまに対する反抗があるとき、その反抗が主を愛している人たちに態度として表れてしまうのです。
私たちは神さまとの正しい関係が回復されていることがとても重要です
調子が良い時も、困難な時も、いつも主に対する信頼が変わらない。主に忠実に歩むそんな人生を、神さまは喜ばれます。エリシャは自分を憎むイスラエルの王に対して、明日の今ごろ、サマリヤのききんを神さまが回復させてくださると預言します。上等の小麦粉一セア(7.3リットル)が一シェケルで、大麦ニセアが(15リットル)、一シェケルで売られると。ある者は、天の窓が開かれても、そんなことが起こるわけがないと言います。それは神には出来ないことがあるという思考で、つまり神さまの力を信じていないと言うことです。そのことば通り、彼はそれを味わうことが出来ませんでした。
私たちも、信仰によって主の声を聞き、信仰によって主の約束を見る必要があります!天の窓が開かれるビジョンを私たちがいつも見ることができるように祈りましょう。ハレルヤ。