「旅人、寄留者として②」ペテロの手紙第一 講解 第26回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2026.2.1)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 2章 11-12節

11 愛する者たち、私は勧ます。あなたがたは旅人、寄留者なのですから、たましいに戦いを挑む肉の欲を避けなさい。
12 異邦人の中にあって立派にふるまいなさい。そうすれば、彼らがあなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたの立派な行いを目にして、神の訪れの日に神をあがめるようになります。

 先週に続き、2章11節と12節は「神の民としてどう生きるか」ということにおいて大切なことを教えています。ペテロはここで二つの事実と二つの勧めを記しています。ペテロが記した二つの事実と二つの勧めのうち、先週は一つめの事実として、キリスト者とは何なのか?それは、神に愛されている者であるという事を見ました。今週は二つめの事実、「旅人、寄留者である」ということを見ていきます。

天の故郷に向かって旅する者

この手紙の冒頭で、ペテロは手紙を宛てた相手の人々について 「寄留している人々」(1章1節)と 表現しています。1章17節でも「この世に寄留している時を恐れつつ過ごすように」と書いています。そして、今週の箇所には、「あなたがたは旅人、寄留者なのですから」とあります。 ヘブル人への手紙11章では、私たちが地上では寄留者であり、天の故郷に向かって旅する者であると教えられています。

長く旅に出たことがある方は経験したことがあると思いますが、一週間ほどの旅であっても、滞在するその土地にだんだんと慣れてきます。しかしどんなに充実した旅であっても、旅は旅であって、その旅先は「わが家」ではないのです。いつか帰る時がきます。
そのように、どんなに今が充実していても、またどんなに今が辛くても、私達はこの世では旅人であり、寄留者なのであって、いつか帰る場所があるのだ、とペテロは教えています。

キリスト者にとってこの世界で生きること、現在の生とは、ほんのひとときの旅のようなものです。かつての信仰の先人たちは、その旅を終えて帰る故郷が、自分が生まれ育った故郷よりももっと良い故郷であることを知っていました。信仰の先人たちは、その良い故郷に憧れていたのです。

しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。
ヘブル人への手紙 11章16節

キリスト者には、神が用意してくださった天の故郷に帰るという希望があります。神に愛されるものとして、天の故郷への憧れを抱きつつ、旅人、寄留者として、現在を生きる者であるのです。