岡崎ホープチャペル発行の週報(2026.3.1)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 2章 13-17節
14 あるいは、悪を行う者を罰して善を行う者をほめるために、王から遣わされた総督であっても、従いなさい。
15 善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることは、神のみこころだからです。
16 自由な者として、しかもその自由を悪の言い訳にせず、神のしもべとして従いなさい。
17 すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、神を恐れ、王を敬いなさい。
クリスチャンとしての責任として
神を信じない人が作ったルールにも従うこと、そこにも神の恩寵があるのだということを先週は読みました。続く13節後半〜14節でペテロは、王や総督などの統治者についても、彼らは「悪を罰し善をほめるため」に神から立てられた存在であるとして、従うよう勧めています。
それでは、すべての定められたことに無条件に従わなければならないのでしょうか? そうではありません。なぜなら、「人が立てたすべての制度」が、常に神の目に正しいとは限らないからです。ですからときには、「主のゆえに」逆の態度を取らなければならないこともあります。
善を行うこと、すなわち神のみこころに生きること
紀元前6世紀、ユダ王国が滅びた際にバビロンへ捕虜として連れて行かれたダニエルは、その後バビロニアとペルシャの王宮で仕えていました。あるとき王から「30日間、王以外の者に祈りをささげてはならない」という命令が出されましたが、ダニエルはそれに従いませんでした(ダニエル6章)。
また使徒の働きの中で、ペテロやヨハネはエルサレムの宗教指導者たちから「今後イエスの名によって語ってはならない」と命じられたとき、「神に聞き従うよりも、あなたがたに聞き従うほうが、神の御前に正しいかどうか判断してください。私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません」と答えました(使徒4章)。彼らもまた、当時の指導者たちの命令に従わなかったのです。
このように聖書は、権力者に盲従することを教えているわけではありません。イエス•キリストによって与えられた信仰や使命において、譲ることのできない時があるのです。そのことを理解したうえで、社会のルールに従い、積極的に善を行うようにと聖書は勧めています。15節に「善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じることは、神のみこころだからです」とあるように、善を行うこと、すなわち神のみこころに生きることこそが、無知な攻撃に対する最大の反論なのです。


