「苦しみを受けても①」ペテロの手紙第一 講解 第33回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2026.3.22)より
聖書箇所:ペテロの手紙 第一 2章 18-23節

18しもべたちよ、敬意を込めて主人に従いなさい。善良で優しい主人だけでなく、意地悪な主人にも従いなさい。
19もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。
20罪を犯して打ちたたかれ、それを耐え忍んでも、何の誉れになるでしょう。しかし、善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれることです。
21このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。
22キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。
23ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。

神に喜ばれること

 18節でペテロは、しもべたちに敬意を込めて主人に従うように勧めています。福音によって自由な者とされたとはいえ、横柄な態度を取ってはいけないと諭しているのです。なぜなら、意地悪な主人に対しても誠実に仕えることが「神に喜ばれること」だからです(19〜21節)。

 ペテロは「神に喜ばれること」という言葉を繰り返し、21節の冒頭では「このためにこそ、あなたがたは召されました」とまで断言しています。また、パウロもフィリピの信徒への手紙の中で、同じ真理を語っています。

あなたがたがキリストのために受けた恵みは、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことでもあるのです。
ピリピ人への手紙 1章29節

今の世の中では、困難を避けて楽な道を追い求める生き方が良しとされがちです。私たちクリスチャンも、知らず知らずのうちにその価値観の影響を受けてしまっているのではないでしょうか。

神はなぜ、私たちが不当な苦しみを耐え忍ぶことを喜ばれるのでしょうか。

それは、キリストご自身がそのように歩まれたお方だからです。私たちは、不当な苦しみの中にありながら神に従い通したキリストの足跡を辿る者として、召されているのです。

 イエス様は十字架という、究極の不当な苦しみをお受けになりました。しかし、自分を苦しめた相手に仕返しをすることなく、ただ神に喜ばれる道を選ばれました。この十字架の恵みこそが、私たちを不当な苦しみさえも耐え忍ぶことのできる者へと変えてくださるのです