「いのちの木への道。その①」創世記マスタープラン 学び第35回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2021.10.24)より
聖書箇所:創世記 3章22節~24節

「神である主はこう言われた。「見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」

①罪の中で永遠に生きないように。創世記 3章22節

まず確認したいのが、人は永遠に生きるものとして造られました。神さまの満ち溢れる良さの中で、永遠に喜び、楽しむ存在として造られました。しかし罪の結果、人は悪を選ぶことにより「死ぬ」存在となります。神さまは、そんな罪の中にある人間がいのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないように、2人をエデンから追放されます。

最近ある映画をNetflixで観ました。「オールド・ガード」と言う映画です。
その映画のスタートシーンは、ある犯罪テロ組織のアジトに捕らえられた子どもたちを救出するというミッションから始まります。主人公を含め、四人のカッコいい特殊部隊がそのアジトに潜入します。緊張感が高まります。さぁ、その悪者たちを次々にやっつけていく。。。と思いきや、まばゆい光が彼らを照らします。次の瞬間、その主人公たちは、ライフルや機関銃で蜂の巣のように撃たれて地に倒れます。そのミッションは罠だったのです。。。主人公がいきなり死んでしまう。そんな。。。

しかし、その主人公たちは死なない体を持っていました。いや死ぬのですが、少しすると復活して生き返るのです。彼ら四人に与えられた力、それが不死身のからだ、永遠のいのちです。。。人々はそれを欲しがります。そして裏切り、捉え、奪おうとする。そんな欲と人類の闇の中で、何百年も何千年も生き、暗闇の世界と格闘する主人公の生き様を著している映画です。彼らは歳を取らない、死なない。愛する者はみな死んでいく。子どもたちもみな死んでいく。友人や仲間たちも。でも自分は永遠に死なない。。。人間の汚い、醜い、現状や殺戮の中で、永遠に生きる。何度死んでも、生き返りまた死の苦しみを負う。。。

この映画を観ていて本当に思いました。これが地獄だと。

罪の中で苦しみ、永遠に生きる。永遠に喜ぶ天国があるなら、永遠に苦しむ地獄もあります。罪をもったアダムとエバから人類が増え広がります。もし罪を持った人間がいのちの木から取って食べたら、この混沌とした罪の中で永遠に生きることを意味します。それを望んでいるのがサタンですね。

人が手を伸ばして、いのちの木から取って食べて、永遠に生きることがないように。。。

それは神のさばきと罪の代償でありますが、私はその中にも神さまの愛があるように感じました。罪の中で永遠に苦しんで生きることがないように。神さまは全く別の方法で、永遠に生きる喜びに至る道を私たちに用意してくださいました。何という恵みでしょうか!ハレルヤ。

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