自分たちの町に帰る エズラ記2

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2022年4月号より

「こうして、祭司、レビ人、民のある者たち、歌い手、門衛、宮のしもべたち、すなわち、全イスラエルは自分の元の町々に住んだ。 」
エズラ記 2:70

聖書通読を進めていくとき、景色や状況がピンと来ないことがよくありませんか。とりわけ名前や民族だけ列挙されていると朗読の際に自分の呂律(ろれつ)の回らなさにびっくりします。

エズラ記2章は70節あるうちの50節以上が民族名のリストです。記載されている彼らは、地元エルサレムに戻ることが許可され、1節 「それぞれ自分の町に帰った」とあります。全ての捕囚の民が帰ったわけではありません。リストに載っている彼らは、先陣を切って主の宮を建て直すために立ち上がった者たちなのです。今の安心安全な暮らし、さほど不自由はしていない生活を捨てて、新しいことを始めるのは容易なことではありません。

しかし、彼らは帰るべきところを知っていました。70節では「自分の元の町々」と書かれています。彼らの元の町々とは、主が共におられることがよくわかる所です。自分たちが本来置かれている場所に戻り、神さまが願われていること、神殿の再建を遂行しようと足を踏み出したのです。

私たちはどうでしょうか。自分たちの町はどこでしょうか。神さまのところに戻ることをリストに載っている彼らのように選び、立ち上がっていきたいものです。

帰った彼らがしたことは68節 「自分たちから進んでささげ物をした」とあります。彼らはまず自分たちの生活をささげました。捕囚されていた所から帰ってくるための時間、労力なども、です。それらに加え、持っているものから神さまにささげたのです。
そして69節 「彼らは自分たちの財力に応じて」とあります。神さまは、大きいとかすごいとか高価とか、そのようなささげ物を期待してはいません。それぞれに与えられている中からの選りすぐりを、喜んでささげる姿勢を期待しておられます。

自分たちの町に戻り、自らささげることを決めて立ち上がった彼らの姿を通して、今日を生きる私たちにも適応できることがたくさんあります。神さまが置いてくださった所にとどまることであったり、神さまの御前に立ち返ることです。
そして、財力だけでなく、時間や持っている能力や賜物をささげること、与えられている中から最高のものを神さまにおささげしていきたいものですね。

伝道師 深谷さおり

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