「一つになる」完成を目指して:学び第4回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.9.25)より
聖書箇所:ピリピ人への手紙 2章1節〜11節

一番重要なことは、神さまとの一致、コミュニケーションです

今回のテーマは「一つになる」こと、組み合わされて行くことです。聖書が言う「一致」とは、何でしょうか?一緒に何かすることが一致でしょうか。逆に一緒に何かできてないなら一致できてないのでしょうか?たとえば教会の婦人会に上手く馴染めているから一致できているのでしょうか?ユースの交わりに上手く入れないから、私は一致できてないのでしょうか?もしそう感じて居場所がないように思える方がみえるなら、それは全く問題ありません。無理に馴染む必要もありません。教会に来て、ただワーシップして満足して帰って行くだけで十分一致できています。私たちの交わりにおいて一番重要なことは、神さまとの一致、コミュニケーションです。

①「キリストにあって」一致すること

これがすべてですね。先ずは共通点に注目することが必要です。私たちは、同じ救い、同じいのち、同じ望みに預かっています。他に代替えすることのできない唯一のものを共有しています。それがイエスさまの十字架であり、約束の聖霊さまです。キリストにある同じ思い、同じ心があるので一致することができるのです。逆に言うと、他に代替えできるものに関しては、無理して一致することはないのです。

②与えられた違いを喜ぶこと

私たちは一人ひとり、異なった賜物、異なった性質をイエスさまの恵みによって与えられました。私たちの異なった人生、環境、背景、経験、個性や好みに至るまで、そのすべてはイエスさまの十字架の恵みによって、あなたの神さまとの関係へと変えられていきます。その違いは、お互いに羨ましがるものでもなく、我慢するものでもありません。その違いはお互いに喜び、楽しむためにあるのです。すべての人が私みたいだったら、嫌すぎますよね。夫婦の関係も同じです。一心同体と言われますが、異なる二人の者が、異なるものとして組み合わされていくことが聖書の言う一つとなることです。最初は、なぜ分かってくれん?自分の考えを押し付けようと。。。でもそれは、一致という概念がそもそも間違ってるのです。全く同じ考え、全く同じ性格なら多分結婚していないでしょう。そこには魅力がないからです。神さまは男と女に造られた。違いがあるからこそ惹かれ合うのです。

③謙遜による一致。互いに人を自分よりもすぐれた者と思う

謙遜な人となる秘訣はただ一つ、キリストの生き方にならうことです。私たちの心には、いつも利己的な思いや、見栄、自分を高く見せたいとの思いがあります。でも私たちが一致するために必要なことは、自分が低くされることを学ぶことです。私たちが変わるためには、イエスさま十字架が必要です。自分の闇を悲しんで悶々とするよりも、目を上げてよみがえられたイエスさまの十字架を見上げましょう。

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