「狭い門から入るって?」ルカの黙想:学び第31回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.9.10)より
聖書箇所:ルカの福音書 13章 22節〜30節

「狭い門から入るように努めなさい。あなたがたに言いますが、多くの人が、入ろうとしても入れなくなるからです。」
ルカの福音書 13章24節

「どれだけの人が救われるか」ではなく「どのように救われるか」

ここのストーリーは、「救われる人は少ないのですか」という問いかけから始まります。この質問には、救われる者が少ないように感じられ、自分も救いの対象から外されてしまうのでは?という心配がにじみ出ています。それに対してイエスさまの答えは「入ろうとしても入れなくなる」と断言します。イエスさまは「どれだけの人が救われるか」ではなく、「どのように救われるか」を教えられます。それが「狭い門」から入ることです。

狭い門と聞くと、小さい入り口に大勢の人々が押しかけるというイメージを持ちます。でも、イエスさまが言われるその「狭き門」とは、「それを見出す者がきわめてまれである」という意味での「狭い門」です。「努めなさい」とは、なんとか努力してと言うよりは「雄々しくありなさい」という意味のことばです(ヨシュア記)。その門は狭くはありません。門は開いています!どちらかと言うと空いている感じです(笑)。でもそれを見出す人が少ないのです。ルカ12章32節にも「小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがのたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。」とあります。イエスさまは、多くの者たちが見向きもしないようなこの門から、勇気をもって神の国を求めて入って行くことを励ましてくださいます。

「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。」
ヨハネの福音書 10章9節

「救いの門」は、誰にでも開かれています。

しかし、誰もが入るわけではありません。イエスさまは、「わたしは門です。」と言われます。私たちは、イエスさまを通してでなければ、天の御国に入ることはできませんし、救いにあずかることもできません。他の門からでは「救われる」ことができません。イエスさまは言われます。「今が救いのとき、今が恵みの日である。」と、門はまだ開かれています!もしイエスさまがその門を閉じてしまったら、だれもそこに入ることはできません。だれも開くことができないからです。

「いいですか、後にいる者が先になり、先にいる者が後になるのです。」
30節

私たちは、救いの門から入りました。あとは、ゴールを目指してイエスさまが来られるのを待っています。多くの宗教はゴールを救いの門とします。しかし、クリスチャンの救いの門は、スタートラインです!もうあなたは、救いの道を完成を目指して走っているのですその恵みの中にいることを心から感謝して、教会の完成を見る者でありましょう。ハレルヤ!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする