信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2023年9月号より
「それなのに、あなたがたの幸いは、今どこにあるのですか。」
ガラテヤ4:15a
ただ信じるだけで、イエスさまによって神の子となっていることを思い出してほしいと、ガラテヤのクリスチャンのみんなに手紙を送っているパウロですが、また泣き叫んでいるような言葉を書き送っています。
この手紙を受け取った彼らは、パウロがかつて訪問し福音を語った時に拒否することなく、真理を喜び、ただただ受け入れました。そして、14節「あなたがたは軽蔑したり嫌悪したりせず、かえって、私を神の御使であるかのように、キリスト・イエスであるかのように、受け入れてくれました。」 とあります。同じく14節には、パウロ自身に人々の試練となるものがありながらも、彼らはつまずくことなくパウロを愛し、共に仕えていたことが書かれています。とても良好な関係だったことが分かります。
それだけに、パウロはなぜ福音から離れて自分の力や経験、知恵で進もうとしているのかと問いただしているのです。15節「あなたがたの幸いは、今どこにあるのですか。」 悲痛な叫びです。あの時分かち合った福音の感動はどこにいってしまったのだと。
彼らは様々な教えの風に吹かれ、イエスさまをほったらかし、置いてきぼりにしてしまったのです。ついには、主が遣わしてくれたと信頼していたパウロを批判する状態にまで発展していきました。
先月号のチャレンジは実践していますか?信仰によって神の子となっていることを宣言し、確信をしっかり握る体験を味わっているでしょうか。ガラテヤのクリスチャンたちは、罪赦されたという事実に立ちながら、罪人であるという現実との良い緊張感が保てなくなっていました。そのため、信仰が揺さぶられた時に崩れてしまったのです。
この揺さぶりは、私たちもたびたび遭遇します。それは、信仰が確固たるものになっていく成長過程であり、19節でパウロが言っているように「あなたがたのうちにキリストが形造られるまで」 の道のりです。この道のりから外れてしまっていた彼らに「幸いは、今どこにあるのですか」 と投げかけているわけです。
私たちはどうでしょうか。十字架は、イエスさまご自身は、今あなたのどこにありますか
伝道師 深谷さおり