「信仰を増やして欲しい?」ルカの黙想:学び第37回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.10.22)より
聖書箇所:ルカの福音書 17章 1節〜10節

①つまずきを与えないこと。1~3節

まず私たちが考えなくてはいけないことは、つまずきは起こるということです。つまずきが起こるのは避けられない、無くすことは不可能だということです。そうです、私たちはみな罪人なので、お互いにつまずきが起こります。でもイエスさまは、つまずきは無くならないからしょうがないとは言いません。「つまずきをもたらすものはわざわいだ!」と言うのです。ここで言う「つまずき」とは、「罠」とか「誘惑する」という意味があり、その罠、つまずきとは、まだ霊的に幼い、弱いクリスチャンたちに罪を犯させること、またイエスさまから引き離すことなどです。それは簡単に言うなら、サタンのすることと一緒です。だから気をつけなさいと厳しく言われるのです。

②赦すこと。3〜4節

つまずきに対して、正しく対処すること。それは自分がつまずかないためでもあります。罪に対して戒めをもって接すること、それが愛です。罪に対して妥協することが優しさではありません。悔い改めに導くことが私たちの役目です。罪からの解放が福音であるなら、イエスさまから引き離すつまずきには悔い改めが必要です。特に教会の共同体の中にあっては愛しているからこそ、それに気づかせてあげる戒めが大切です。そして悔い改めたら何度でも赦すことです。

③信仰を増やして欲しい?5〜6節

それに対して弟子たちは難しいと、それは不可能だと言います。だから私たちに信仰を増やして欲しいと願います。赦すためには信仰が必要だからです。大きい信仰をくださいと言った弟子たちに対して、イエスさまは小さい信仰で大丈夫だよと言われます。それは、からし種の信仰は、あなたの信仰にかかっているのではない。信仰も、赦しもイエスさまの信仰にかかっているからです。パリサイ人も信仰を持っていました。それも大きい信仰があると思っていました。でも信仰は大小ではなく、真実かどうかが重要なのです。その真実とは、イエスさまの十字架から与えられる信仰です。それがからし種の信仰なのです。

④取るに足りないしもべ。7〜10節

そのような信仰が与えられる者は、なすべきことをしただけですと告白することができるように変えられるのです。私たちの心には、報われたい、認められたいという心がありますね。「こんなに頑張りました!こんなに増やしました!だから誉めてください!」と。でも私たちキリスト者は、もうすでにその賞賛を受け取っているのです。受ける価値のない私が神の子どもとされたのです。ハレルヤ!

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