福音はこれだけ! ガラテヤ書1

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2023年2月号より

「ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるわけではありません。あなたがたを動揺させて、キリストの福音を変えてしまおうとする者たちがいるだけです。」
ガラテヤ書1:7

どの集団、共同体にも必ずルールや規律があります。家庭独特の受け継がれているルーティンがあったり、職場や学校では「なぜこれを…?」と思いつつこなしていることがあると思います。
それは、ちゃんとその集まりが保持、または成長していくために必要なことなので設けられたわけです。しかし、「なぜこれを…?」の場合は、設置当初とは違う何かが加えられていたり、肝心なところが欠落していたりすることが多いのではないでしょうか。

福音、すなわち私たちに用意されているキリストの福音に、何かを加えたり、大事なところを引き抜いて広めていた人たちがいました。人から人へ伝えていく中で複雑化していき、こうじゃないと、ああじゃないと、と言い始めたのです。これらに対して警鐘を鳴らし、なびいていってしまった人たちを叱咤激励しているのがガラテヤ人への手紙です。

「キリストは、今の悪の時代から私たちを救い出すために、私たちの罪のためにご自分を与えてくださいました。私たちの父である神のみこころにしたがったのです。」
(1:4)
福音はこれです。ところがガラテヤの人々は神さまからのプレゼントである十字架の贖いに付け足しをしていました。信じる信仰だけでいいよと言われているのにも関わらず、それだけでは救われるのには足りていないという主張です。

7節後半で「キリストの福音を変えてしまおうとする者たちがいるだけ」だと手紙の著者パウロは言っています。そうです。せっかくの贈り物に文句を付けているようなものです。
同じ7節の前半で「もう一つ別に福音があるわけではありません。」とあるように、福音は一つなのです。ところが本物っぽい、それっぽいものに魅かれてしまったり、付け足したくなってしまうのが私たち人間の弱さです。

福音はこれ以外にない、という確信、そしてその確信がどんなみことばによって裏付けられているか、みなさん一人ひとり、じっくり味わってみてください。

伝道師 深谷さおり

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