「コリント人への手紙第2」学び 第14回(2018.11.04)
聖書箇所 2コリント 8章1節~5節
「苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、」
聖書箇所:コリント人への手紙第2 8章2節~3節
①惜しみなく施す富。
この当時、エルサレムの教会はひどく困窮していました。
教会に対する迫害や敵意が強く、家や職場を失う信徒たちもいました。
その上、その地にききんが襲いました。
この知らせを聞いたマケドニヤの教会がエルサレムの教会を助けるために豊かなささげ物をしました。
彼ら自身も、激しい試練と極度の貧しさの中にありながら、満ち溢れる喜びをもって、惜しみなく施しました。
この「惜しみなく施す富(純粋さ、献身)」を神さまは喜ばれます!
マケドニヤの人々は、苦しみの中にいる者たちを助けることを恵みと考え、喜んでささげたのです。
お金があるから、余裕があるから惜しみなく施すことができるわけではありません。
苦しみや、極度の貧しさの中にあっても、私たちの内に主に対する喜びがあるなら、惜しみなくささげることができるのです!
②自ら進んでささげた。
彼らは、「力に応じ、いや力以上に」自ら進んでささげました。
「自ら進んで」の原語は、「自らの選択によって」「自発的に」と言う意味があります。
この献金は、彼らの願いから始まりました。
ささげものは、自分自身を主にささげるところから始まります。
献金はその現れでもあります。
無理やりだったり、人に見せるためにささげると、献金が自分を主張しだします。
③神の国の豊かさ。
パウロは、献金を「恵み」と言います。
ささげることは、損したのではなく、私たちの富となるのです!
これが神の国の奥義です。
恵みを分かち合う、流す、与える、ことによって富む者となるのです。
それが、イエスさまの生き方でもありました。
イエスさまが貧しくなられたのは、損ではなく、私たちの、いや、救いを受けるすべての人々の益となりました!