「過越の食事」ルカの黙想:学び第47回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2024.1.14)より
聖書箇所:ルカの福音書 22章 1節〜23節

ルカの福音書 22章1節~6節

「さて、過越の祭りと言われる、種なしパンの祭りが近づいていた。」

『過越の祭り』といわれる祭りは、ニサンの月(現在の3〜4月頃)の14日の日没からイスラエルでは子羊の肉を食べます。過越の祭りに続いて、すぐに『種なしパン』の祭りが一週間始まります。過越の祭りの翌日、つまりニサンの月の十五日に、イスラエルの民は400年間奴隷として滞在したエジプトを脱出しました。イスラエルがエジプトから救い出されたことを祝う喜びの時に、祭司長たちはイエスさまを殺そうと考えていたのです。でも、彼らは民衆を恐れて何もできないでいました。彼らがどんな質問をイエスさまに浴びせかけても、イエスさまは見事に答えられたので、何もできなかったのです。そんな時に、サタンがユダに入ったのです。その闇の力が働いて祭司長たち、司法権を持つローマ総督ピラト、ユダヤ人たちや群衆の思いが動かされ乗っ取られていきます。私たちも、この闇の力が働いていることを意識する必要があります。無意識のうちに、この世の価値観に流されて大切なものを失う危険性がいつもあります。ユダはたった銀貨30枚でイエスさまを売ってしまいます。それは奴隷の値段でした。今まで、多くの教えやしるし、奇蹟やあわれみを受けてきたのに。そんなイエスさまをユダはサタンの誘惑、富の誘惑に負けて裏切ってしまいます。祭司長たちは喜びました。なぜなら、群集がいないとき、内密にイエスを捕らえることができるようになったからです。サタンの目的はただ一つ、神さまと人を切り離すことです。この世に生きている間、サタンは神さまを信じようとする者たちを、クリスチャンをいつも誘惑してきます。だからこそ、どんなときもいのちを与えてくださるイエスさまを仰ぎ見ていきましょう。

ルカの福音書 22章14節~23節

「その時刻が来て、イエスは席に着かれ、使徒たちも一緒に座った。」

日没になり、過越の食事が始まる時間になりました。イエスさまは、過越の祭の食事を弟子たちと一緒にできることをとても喜んでおられます。食事の交わりは、弟子たちと一つになる親密な交わりの時間でしたが、過越の食事はさらに特別な意味を持っていました。互いの交わりだけでなく、神さまとの交わりでもあります。神さまと交わって一つになり、神さまに結ばれている者同志が交わって一つになります。だからイエスは、これから起こることを弟子たちに伝え、心の準備をさせようとします。過越の羊が、罪のための贖いのいけにえであることに照らし合わせて、ご自身の十字架の贖いの死を理解し、メシヤとしてのご自身の道を示されるのです。ユダヤ人にとっては出エジプトをお祝いする記念でしたが、イエスさまの十字架の後、この交わりは十字架を覚える新しい契約となりました。イエスさまの十字架の道を覚えるとき、私たちの歩む道の基準も定まってきます。聖餐のたびに共同体のみんなで、その基準を確認できる幸を感謝します。ハレルヤ!

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