「花嫁の心」雅歌の学び 第2回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2019.09.22)より
雅歌の学び 第2回
聖書箇所:雅歌 1章4節~8節

「私を引き寄せてください。 私たちはあなたのあとから急いでまいります。 王は私を奥の間に連れて行かれました。 私たちはあなたによって楽しみ喜び、 あなたの愛をぶどう酒にまさってほめたたえ、 真心からあなたを愛しています。」4節

・花嫁の心
愛し合うとは、関係です。
それは妄想や疑似体験ではありません。
愛の関係も、信頼関係も、関係とは築き上げるものです。
そして聖書ではイエスさまと教会の関係を、花婿と花嫁の関係で表しています。
神さまと恋愛できる関係とは、なんという恵みでしょうか。

花嫁は神さまの臨在の中で、楽しみ喜び、主をほめたたえ、花婿の愛を確認しています。
花嫁は口づけを求め、その口から出るひとつひとつのみことばを愛し、世の楽しみや喜びもキリストの愛には変えられませんと告白します。
そして「奥の間(最も深い所)」にて、神さまとの深い交わりを喜び楽します。
これが礼拝でありWorship(ワーシップ)です。
Worship とは神さまを「最も価値あるものとみなす」ということです。
花嫁(教会)の心とは神を愛する心であり、礼拝を喜びます。
教会にとってこれが生命線あり、いのちです。

このWorshipの関係、愛の関係がないなら、どんな働きをしても虚しいです。
神さまの愛がわからないと神さまを愛するということがわかりません。
その人にとって礼拝は愛をささげることではなく義務となります。
愛の関係が義務となると、神さまとのすべての関係が義務的になってしまいます。
みことばも、祈りも、献金も、生き方もです。

「また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。」
(コリント人への手紙第一13章3節)

愛は関係です。
「愛しなさい」と言われても愛はわかりません。
愛が分かるただ唯一の方法は、無条件に愛されていることを知ることです。
それは完全に赦されていることを知る経験かもしれません。
イエスさまの十字架の贖いが、聖霊さまによりはっきり心に刻まれるとき、真の悔い改めと同時に、その計ることのできない神の愛が私たちの内に注がれるのです。
それが主への賛美と変えられる花嫁の心です。
多く赦された者は多く、いや、よけいに愛するようになるのです。

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