「あなたがたの愛が豊かになる」完成を目指して:学び第2回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.9.11)より
聖書箇所:ピリピ人への手紙 1章9節〜11節

福音宣教の働きは個人では出来ません。チームミニストリーです。

そして、イエスさまの恵みに対して共に責任を負い合う共同体が教会であり、パウロはその教会の完成を願って祈っています。今回のパウロの祈りのテーマは「あなたがたの愛が豊かになる」ことです。

私たちの愛が豊かになる。教会の愛が豊かになる。その愛が完成されていくとは、どういうことなのか?愛は目で見えるものではありませんが、愛はその行為によってはっきりと形に現れます。愛は口先だけのことばではなく、その人の生き様に現れてきます。
もし私たちが何かの「推し」を好きになったら、その「推し」についていよいよ多くのことを知りたいと願いますね。同じように、イエスさまがあなたの「推し」になるなら、イエスさまについてもっと深く知りたい、その真理をもっと深く感じたいと願いますよね。パウロにとって「愛」とは、私たちの主観的な感情のことだけではなく、真の知識と識別力に裏打ちされた愛でなければならないと、ここで祈っています。イエスさまを知る知識が豊かになること、それが愛が豊かにされる秘訣です。

私たちは、愛に対して盲目的であってはいけません。

もし愛が盲目的で、自分の都合だけで相手の感情を害しているなら、それは豊かな愛ではありません。豊かな愛には、正しい識別力が必要になってきます。パウロは「あなたがた(の愛)が、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように」と祈ります。つまり、「本物と偽物とを」正しく見分けることができるようにということです。真の愛により、【本質】を見極めることができるようにされるのです。

教会の中にも【偽りの愛】が混ざってきます。

利己的な愛だったり、盲目的な愛だったり、神の愛に不純物を混ぜてきます。そのようなヒューマニズムによる愛は一見良さそうに見えますが、そこには必ず、妬みや優越感、分裂の火種が見え隠れします。私たちが、真にすぐれたものを見分けるためには、聖霊さまによりいつもイエスさまの十字架を指し示してもらう必要があります。本質を見極めるためには、私たちがイエスさまの恵みにしっかり立つ必要があります。

そのために、私たちの愛が「純真」=ピュアであるように祈りましょう。「またあなたがた(の愛)が、キリストの日には純真で非難されるところがなく」と。私たちがイエスさまの前に出るときには、見せかけや、虚勢、心遣いなどは役に立ちません。五つのパンと2匹の魚をささげた少年のように、レプタ銅貨2枚をささげたやもめのように、今のあなたを神の愛のゆえにささげましょう。そのために、いつもイエスさまの十字架によって赦されている者として父の愛を受け取りましょう!ハレルヤ。

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