「花嫁の処女性」雅歌の学び 第11回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2019.11.24)より
雅歌の学び 第11回
聖書箇所:雅歌 4章8節~15節

「私の妹、花嫁は、閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉。」4章12節

①「私の妹、花嫁よ」
雅歌4章8節に入ると、これまでシュラムの女を「わが愛する者」と呼んでいた花婿が、突然「花嫁」と呼び、9節では「私の妹、花嫁よ」と変化します。
ここで「妹」と訳されたヘブル語は「アホーティ」(אֲחֹתִי)と言い「実際の血のつながった妹」を意味します。
花婿にとって花嫁は血のつながりがある、それほどまでに親密な関係であることの表れであると言えます。
そしてそのことは、キリストの花嫁なる教会も花婿なるイエスさまの血によって生まれた者であることの象徴でもあります。
イエスさまにとって教会は自分自身なのです。
喜びの基なのです。

②花嫁(=教会)の処女性。
12節に「私の妹、花嫁は、閉じられた庭、閉じられた源、封じられた泉」とあります。
これらはすべて花嫁の処女性を表している表現です。
「閉じられた」「封じられた」という表現は、花婿以外にだれも入ることのできないように鍵がかかっているような状態です。

「私の愛する方は私のもの。私はあの方のもの」

この告白は、花嫁の純潔さを表しています。
花嫁にどうしてもないといけないもの、それが花婿に対する純潔です。

パウロもそのことを語っています。コリント人への手紙第二 11章1節~3節
「私の少しばかりの愚かさをこらえていただきたいと思います。いや、あなたがたはこらえているのです。というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。しかし、蛇が悪巧みによってエバを欺いたように、万一にもあなたがたの思いが汚されて、キリストに対する真実と貞潔を失うことがあってはと、私は心配しています。」

蛇が偽りによってエバを欺いたように、教会にもサタンが悪巧みによって欺こうとしてきます。
パウロはそのことを心配しています。
教会にとってどうしても必要なことは、イエスさまに対する「真実と貞潔」です。
サタンは私たちの思いや思考、決断を惑わしてきます。
だから私たちは、いつも神さまのみことばをしっかり握って聖さを保つ必要があります。

私たちの肉体の貞潔とともに、神さま以外のものをワーシップする偶像礼拝、また律法や行いにより自分の義を実現しようとする他の福音におちいることのにいように、毎日イエスさまの十字架だけを見上げて、花婿なるイエスさまを待ち望みましょう!

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