よりどころは御霊 ガラテヤ書4

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2023年5月号より

「御霊によって始まったあなたがたが、今、肉によって完成されるというのですか。」
ガラテヤ3:3b

パウロの持っている感情全てが爆発している箇所、3章です。新改訳第3版の訳だと1節は「十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきり示されたのに」と書かれています。
宣教旅行で巡って築き上げられていった群れが、惑わされてしまい、主の方を選ぶことができなくなっている事態にパウロがいてもたってもいられなかったことがひしひしと伝わってきます。「俺が分かち合った十字架の感動はどこに行ってしまったんやー!」と怒り、悲しみ、呆れ、悔しかったのではないでしょうか。
伝えられた福音は、御霊が働かれて一人ひとりが理解でき、腑に落ち、魅了され、クリスチャンとなっていったことでしょう。その時のことを思い出し、パウロは再び、ガラテヤのみんなに福音とは何だったかを説明しています。

「御霊によって」の「よって」とは、原因・理由・根拠・手段・動作の主体など、たくさんの意味を持っています。さらに、「そのものの力をもらいながら」という意味も含まれていますから、肉によって完成することなんてないよねと言いたいわけです。

「肉」…。そろそろ暖かくなってきてBBQをしたくなるシーズンが近づいてきていますね。肉とはスバリあなた自身です。「自分で」何かをしようとしている時、肉が働いています。御霊の働くスペースを奪っているのです。環境や状況が左右しているのではなく、それに踊らされてしまっている自分、つまり「私が」となっているのを、パウロは「その生き方をしなくてもよくなったのではないか」と語っています。

「肉によって完成される」の別訳は「肉によって仕上げる」とあります。手を加えてしまいたくなるのが私たち人間です。「私にはできません」という、卑下ではなく降参をすることで、主の御前に出ていく姿が御霊の働きを広げます。

ガラテヤのみんなが忘れかけていた福音の感動、十字架の贖いのデカさ、ヤバさ(語彙力がゼロになってしまうほどの素晴らしさ)を私たちも忘れないように、毎日味わい続けましょう。御霊がよりどころであることを体験し、そのことをぜひ分かち合ってみてください。

伝道師 深谷さおり

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