信仰の結果

信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2020年5月号より

「あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。
あなたがたが、信仰の結果であるたましいの救いを得ているからです。」
ペテロの手紙 第一 1章8~9節

試練と苦難を克服する力は、望みとともに喜びです。
どんな困難や試練を通るときも私たちが失望することがないのは、そこに希望があり、喜びがあるからです。それは私たちが、信仰の結果である「たましいの救い」を得ているからです。

私たちは直接イエスさまを見たことはありません。イエスさまから直接話を聞いたこともありません。それでも私たちは、イエスさまを愛しており、そのことばを信じています。なぜなら、神の愛が、聖霊によって信じる者に注がれているからです。

神さまの無条件の愛を知るとき、私たちは神さまを愛する者へと変えられていきます。イエスさまの十字架の恵みに出会うとき、信仰が与えられるのです。その信仰は、「たましいの救い」をもたらします。この救いは、ことばに尽くせないほどの喜びです。たとえ試練や困難の中にあっても、神さまの栄光と臨在に満ちた喜びが、あなたのたましいにいのちを与えます。

私たちは、「訓練」とか「忍耐」という言葉を聞くと、「自分がもっと強くなって、立派な信仰者となって、どんなことにも動じないようにならなければ。」と考えてしまいがちです。そして、もしそのようにできなかったら、訓練が足りなかったから、信仰が足りなかったからと心配してしまうのです。しかし聖書は、「信仰の試練によって、あなた自身が立派にならなければいけない。」とは言っていません。

パウロは前の節で「イエス・キリストが現れるとき、称賛と光栄と誉れをもたらします。」と書いています。それは、イエスさまが来られるとき、「よくやった。あなたはわたしの誇りだ」と称賛してくださるということです!
そして、それは、あなたが立派な人間になったからではなく、あなたが、試練の中でも神さまに信頼し続けたからです。
それが「信仰の結果」です。
ハレルヤ!

牧師 佐藤耕二

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