信望愛(Okazaki Hope Chapel Monthly Bulletin)2023年6月号より
「ですから、信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受けるのです。」
ガラテヤ3:9
パウロはガラテヤのクリスチャンたちが分かりやすいように、信仰の父と呼ばれているアブラハムを用いて、クリスチャンとは、生き方が変わった人たちなのだと伝えています。6節「「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあるとおりです。」とあるように、ただ信じる信仰によって義と認められることです。それは私たちも同じですね。十字架のキリストを信じ、告白した時、虚しい生き方から、希望ある生き方への移行は済んでいるのです。
しかし、この手紙が届いた時のガラテヤの兄弟姉妹たちは移行前のバージョンである12節b「律法の掟を行う人は、その掟によって生き」てしまっている状態だったのです。そのため、繰り返しパウロはしつこく、全く新しい生き方が与えられていることを思い出してほしい、あなたが必死に生きれば生きるほど、御霊は身動きが取れないでいるんだ、と言っているのです。
私たちも、気がついたらいつのまにか新しい生き方を“する”ことに努力をしていたりしませんか。もらっているはずの御霊を握りつぶしてはいませんか。
アブラハムの場合は、頭で考えるのをやめて天の父にお任せすることにしたのでした。こんな年老いた自分に子どもが与えられるはずがないという、今まで持っていた価値観を横に置くことです。(捨てられたら捨てましょう)そのことは、主が働かれるスペースを作ることになります。
私たちも自分であれこれ動くのではなく、イエスさまが動かれるのを待ってみましょう。
14節「それは、アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に及び、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるようになるためでした。」
イエスさまが成し遂げてくださったみわざを受け取ったのであれば、もうそれはあなたのものです。
移行済みです。
伝道師 深谷さおり