「聖なるものとされた(カデシュ)」創世記マスタープラン 学び第12回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2021.05.16)より
聖書箇所:創世記 2章1節~3節

「こうして天と地とその万象が完成した。神は第七日に、なさっていたわざを完成し、第七日に、なさっていたすべてのわざをやめられた。神は第七日を①祝福(バラク)し、②この日を聖なるものと(カデシュ)された。その日に神が、③なさっていたすべての創造のわざをやめられた(シャバットされた)からである。」

安息日の制定における重要な三つのキーワードがあります。そのキーワードとは、神さまはその日を①「祝福した」②「聖とした」③「やめられた」という三つの動詞です。今回は、その中の「聖なるもの」としたという概念について学んでみましょう。

「カデシュ」は、特別に神さまのものとして「取り分ける」ことを意味する「聖別(=分離)」の概念です。

神さまの創造のわざは第六日で終わりました。そしてカデシュがあり、第7日があります。つまり第七日目は、これまでの六日間(第一日から第六日)とは全く異なる日、区別された特別な日として扱われています。神さまは「この日を聖なるものとされた」です。

神さまの創造のみわざの第3日目までは、「バーダル・分離」がテーマでした。

混沌とした「トーフーバボーフー」の中に、神さまは境界線を引いていき区別と秩序を与えていきます。しかし第7日はただの区別ではなくて、「聖別」(カデシュ)です。その目的は、より強い神さまの臨在にふれることと関係しています。それは神さまご自身が民の中に住むこと、臨在することでした。その「型」がエデンです。「聖所」を意味する「ハ・ミシュカーン」は、神の栄光・臨在が留まる所という意味です。

またモーセの十戒では「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」(出エジプト 20章8節)とあります。

それは「安息日」を週の中で、特に意識して「聖別する」ことを意味しています。それは神さまの安息を「覚える」「思い起こす」ためです。神さまの創造の目的、神さまとの安息、交わり、臨在を思い起こすのです。

イエスさまも聖餐の中で「わたしを覚えて、、、」と言われました。

それはイエスさまの十字架によって贖われ、罪を赦されて神の子どもとされたこと、復活されたイエスさまを思い起こすことす。でもそれだけではなく、「杯を飲むたびに、主が来られるまで」イエスさまが来られること、そして再び神さまの栄光と臨在の中に住うことを覚えるためでもあるのです。それが変わらない神さまの計画ですね。ハレルヤ!

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