「サマリヤ人に臨んだ聖霊」使徒の働き 学び第15回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2020.08.09)より
聖書箇所:使徒の働き 8章14節~25節

「そこで二人が彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。」17節

①イエスさまを信じるすべての者に、聖霊が与えられる

ユダヤ人はサマリヤ人をさげすんでいた。しかしピリポの福音伝道によって、今まで敵対していたサマリヤの人たちがイエスさまを信じます。サマリヤ人がこの福音を受け入れたという報告を聞いて、エルサレム教会に衝撃が走ります。そこでエルサレム教会は指導者であったペテロとヨハネをすぐさま派遣しました。彼らが着いてみると、サマリヤ人は水のバプテスマを受けていましたが、まだ聖霊が臨んでいなかったとあります。そこでペテロとヨハネが祈ると、サマリヤ人たちも聖霊を受けとります。

これは使徒たちの働きの中でも大きな変化でした。聖霊の現れはユダヤ人だけの専売特許だと思っていた彼らの固定概念が崩されたからです。しかしペテロとヨハネは、サマリヤの信者たちにも聖霊が臨むように祈りました。それは自分たちも五旬節の日に聖霊が臨まれたことによって、ようやく神さまの愛を、イエスさまの恵みを深く理解することが出来たからです。
私たちも同じように、いつも聖霊さまを求めます。それは聖霊さまの現れ自体が魅力的だからではなく、聖霊さまに教えられなければ信仰を保つことができないからです。信仰は神さまからの賜物です。聖霊さまを歓迎しましょう。

②聖霊に対する誤解

しかし聖霊の恵みを全く誤解していた人がいました。それがシモンです。彼はその神さまの力を魔術的な概念、世俗的な価値観、過去の自分の悪い習慣を通して見ていました。彼は目の前に起きる現象を崇拝していたのです。そしてその聖霊による神の賜物を自分のために利用することしか考えていませんでした。自分の名声、富、力のために欲しいと。

聖霊の賜物は、神さまが与えるものであり「一方的な恵み」です。人に見せるためのものでもないし、そのことに何の権威もありません。それはただ私たちがこの地上で神の国の前味を味わえるように神さまが与えてくださる喜びであり、神の愛の現れです。そしてその喜びにより、福音は宣べ伝えられ、御霊なるキリストの教会が建て上げられるのです。「このようにして、使徒たちはおごそかにあかしをし、また主のことばを語って後、エルサレムへの帰途につき、サマリヤ人の多くの村でも福音を宣べ伝えた。」ハレルヤ!

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