「危機を招く選択」使徒の働き 学び第41回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2021.02.07)より
聖書箇所:使徒の働き 27章1節~12節

「しかし百人隊長は、パウロの言うことよりも、船長や船主のほうを信用した。」使徒の働き 27章11節

ついにパウロのローマへの旅が始まりました。パウロを乗せた船は、小アジアの沿岸に沿って航海します。この時期は航海に適切ではなかったので、クレテ島の「良い港」と呼ばれる所で冬を過ごすことをパウロは提案します。しかし百人隊長は、その港は冬を過ごすには不便に感じたので、より過ごしやすい大きな街ピニクスに滞在したいという多くの人の意見により、危険が伴うが航海を続けます。その決断が後に大変な試練へと導きます。私たちの人生にも、教会の歩みにおいても決断することが訪れます。その決断により危機を招くこともあります。百人隊長が下した決断から、私たちが学ぶべきことを考えましょう。

①神さまよりも専門家の経験に頼った。

百人隊長は、パウロのことばよりも船長と航海士の意見を聞いた。囚人のパウロのことばよりも、経験豊かな専門家たちのことばを聞くことが普通は正しいと考えます。しかし彼らは、すべてのことを治めておられる神さまのことを知りません。世の方法がすべて正しいわけではありません。船長も航海士も経験はありましたが、ローマに対する体裁もありました。私たちの日々の決断にあって大切なことは、何事においても神さまの御声を最優先することです。そして自分たちの計画よりも、霊的な意味でも共同体のいのちを大切にすることです。

②少しの忍耐を選べなかった。

百人隊長が急いで良い港を出発しようとした理由は、その港が冬を過ごすには不便だったからです。近視眼的な状況に対処することによって、もっと大きな苦しみを通ることもあります。今の少しの不便や苦しみを忍耐することも、その後の大きな喜びを得るために必要なこともあるのです。

③無知な多数の意見に耳を傾けた。

百人隊長の決断の3つ目の過ちは、重要な決定を多数決によって決めたことです。それは民主主義的で正しいように思えますが、多数の意見が常に正しいわけではありません。イエスさまは、いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見出す者は少ないと言われました。百人隊長だけではなく、私たちも誤った選択をしてしまうことがあります。多くの信仰者もそうでした。でもそこから多くのことを学び、神さまに立ち返りました。私たちも同じ失敗、同じ過ちで後悔するのではなく、この世の方法を置いて、神さまの方法を選んで歩んでいきましょう!

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