「バーダル = 区別すること」創世記マスタープラン 学び第3回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2021.03.14)より
聖書箇所:創世記 1章4節~5節

「神は光を見て良しとされた。神は光とやみとを区別された。
神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。」

私の世代のスーパーヒーローには、必ずパターンがありました。ウルトラマン、仮面ライダー、水戸黄門。。。そこにははじめから作者の計画があります。聖書のストーリーにも、神さまの計画のパターンがあり、型があります。そのストーリーにおける神さまの計画を知らないと神さまが何を言いたいのか分かりません。神さまのマスタープランを知ることをテーマに見ていきましょう。

①光とやみとを区別された。

神さまは、光とやみが混合することのないように区別された。神さまは、光と闇とをはっきりと「分けられる」分離される方です。神さまは「光とやみ」だけでなく、「天と地」「聖なるものと俗なるもの」、「至聖所と聖所」などを区別される方であります。他にもイスラエル人のうちからレビ人を「取り分ける」方であります。このように神さまの創造のみわざにおいて、「バーダル」=「区別する、分ける、より分ける、仕切る、取り分ける」ことは、神さまの変わることのない性質、聖別の概念なのです。

その聖別の概念は、神さまが良しとされる聖書の重要なテーマです。

逆に、聖別を曖昧にすることがサタンの企みでもあります。アダムがエデンの園においてサタンにだまされました。そのためアダムは、「いのちの木」と「善悪の知識の木」を区別すること、聖別することの境界線を犯したのです。バウンダリーを壊そうとしてくる、神さまの愛を、神さまのみことばを曖昧にすることがサタンの策略です。使徒パウロが次のように言っていることを心に留めましょう。

コリント人への手紙第二 6章14節~7章1節
「不信者と、つり合わないくびきをともにしてはいけません。正義と不法に何の関わりがあるでしょう。光と闇に何の交わりがあるでしょう。キリストとベリアルに何の調和があるでしょう。信者と不信者が何を共有しているでしょう。神の宮と偶像に何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神がこう言われるとおりです。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らから離れよ。──主は言われる──汚れたものに触れてはならない。そうすればわたしは、あなたがたを受け入れ、わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる。──全能の主は言われる。」愛する者たち。このような約束を与えられているのですから、肉と霊の一切の汚れから自分をきよめ、神を恐れつつ聖さを全うしようではありませんか。」

差別ではなく、区別することの基準が聖書にあることを認めましょう。ハレルヤ!

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