「ふさわしい助け手」創世記マスタープラン 学び第19回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2021.07.04)より
聖書箇所:創世記 2章18節

また、神である主は言われた。「人がひとりでいるのは良くない。わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう。」
創世記 2章18節

①人が、ひとりでいるのは良くない。

神である主は「人がひとりでいるのは良くない」と言われます。それはアダムの心ではなく、あなたの心の叫びでもなく、神さまの心です。ではなぜ、「人がひとりでいるのは良くない」のでしょうか?それは、人はひとりで生きることが出来ないからです。人がひとりで生きることは、神のかたちとして造られた者として「ふさわしく」ないからです。人が孤独で生きることを神さまは、「良し」とされていません。人はひとりでは生きられないのであります。

父、子、聖霊さまが、互いに交わりをもって存在しておられるように、私たちも交わりをもって生きるように、初めから造られたのです。人は創造の初めから、一人で生きるように造られていないのです。私たちは、互いに依存し合い、互いに助け合い、互いの愛の交わりを通して【神の栄光を現すために】造られました。ハレルヤ!

だからあなたには、愛を分かち合うパートナーが必要です。愛を分かち合う家族がどうしても必要なのであります。それはその愛の交わりを通して、神さまの素晴らしさを知るためです。あなたのために、必要な霊的家族が用意されています。それが教会であります。

イエスさまが十字架上で言われた7つのことばの中に、このようなことばがあります。十字架のそばに立っていた母マリヤに言われるんです。「そこにあなたの息子がいます。」と、そしてさらにヨハネに向かって「ごらん。あなたの母です。」と。そして「完了した」と言って息を引き取られます。これがイエスさまの願いであり、神の家族です。

②ふさわしい助け手。

続けて神さまは言われます。「わたしは人のために、ふさわしい助け手を造ろう」。
「ふさわしい」とは、原語では「共に向かい合う」という意味があります。「ふさわしい助け手」とは、「お互いに向き合い助け合う者」です。その関係は、単なるヘルパーや、補助者という意味ではありません。困ったときにちょっと助けてくれるという便利屋ではないのです。それはむしろ、「向き合う人」がいなければ、なにか欠けを生じてしまうほどに、お互いがお互いを必要としている関係であります。

この関係が神さまが創造された「ふさわしい関係です」。その関係は、お互いを縛り、拘束する関係ではありません。お互いの自由を尊重しつつ、でもお互いを選び、お互いが必要なのです。お互いを建て上げ、お互いを生かす関係です。神さまの言われる「ふさわしい助け手」は、神さまに愛されている存在として、お互いを生かし、お互いを建て上げる関係です。それが聖書的なパートナーシップであり、エデンの園において、神さまがどうしても必要だと認めた愛の関係です。

この後、アダムのあばら骨からエバが造られていきます。男と女の関係です。この「女」の創造と「教会」は深い関係があります。それが神さまの奥義であり、変わらないマスタープランです。

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