詩篇150篇の黙想「頌栄」

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.5.15)より
聖書箇所:詩篇150篇 1節~6節

「息のあるものはみな、主をほめたたえよ。ハレルヤ。」
詩篇150篇6節

一般的なプロテスタント教会では、礼拝の一番最後に「頌栄」(しょうえい)というものがあります。礼拝の最後に【すべての栄光を神さまに帰す】ためにささげられる賛美です。「主の祈り」も同じように頌栄で終わりますね。礼拝者にとって頌栄を告白することが最も重要な使命であると信じます。サタンはそこから落ちたのですから。

詩篇は、5巻からなるワーシップの賛美です。

そしてその5巻ごとのワーシップの最後は「頌栄」の賛美で閉じられています。

第一巻 詩篇1篇~41篇
 頌栄 詩篇 41:13
「ほむべきかな イスラエルの神 主。とこしえから とこしえまで。アーメン、アーメン。」
第二巻 詩篇42篇~72篇
 頌栄 詩篇 72:19~20
「とこしえにほむべきかな その栄光の御名。その栄光が全地に満ちあふれますように。
  アーメン、アーメン。エッサイの子ダビデの祈りは終わった。」
第三巻 詩篇73篇~89篇
 頌栄 詩篇 89:52
「主は とこしえにほむべきかな。アーメン、アーメン。」
第四巻 詩篇90篇~106篇
 頌栄 詩篇 106:48
「ほむべきかな イスラエルの神 主。とこしえから とこしえまで。民はみな「アーメン」と言え。ハレルヤ。」
第五巻 詩篇107篇~150篇
 頌栄 詩篇 150:6
「息のあるものはみな主をほめたたえよ。ハレルヤ。」

このようにして見ると詩篇は全ての巻(ワーシップ)が「アーメン」か「ハレルヤ」で閉じられていることが分かります。「アーメン」「ハレルヤ」という宣言は、主の約束の完成に同意し、主の勝利を高らかに誇り賛美する最高のことばなのです。そして五つの詩篇の締めくくりに「息のあるものはみな、主をほめたたえよ。」と祈ります。ここでの「息のあるもの」は、「ネシャマー」です。

「神である主は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。」
 創世記2章7節

神さまの変わることのない願いは、すべての人が救われることです。すべての人が、このいのちの息によって主をほめたたえることなのです!ハレルヤ!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする