詩篇19篇の黙想「三つの声」

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.2.20)より
詩篇19篇 1節~14節

詩篇19篇には三つの声が出てきます。その声は、実際には私たちの肉体の耳では聞くことの出来ない声でありますが、でもその声は私たちに神の啓示を語りかけ、神を知る知恵を与えてくださいます。

①自然界・全宇宙に存在する沈黙の声です。1~6節

宇宙においては、空気がないために、どんな大きな音も伝わりません。星が爆発するときは大変なエネルギーによる音を出しているのですが、その音は一切聞こえないのです。静寂そのものです。「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。」、しかし3節「話しもせず 語りもせず その声も聞こえない。」のです。
しかし自然界の発することばが聞かれなくても、すべての造られたものを見るとき、私たちは神さまの神性を見出します。もし人々がこの自然界の「沈黙の声」に耳を傾け、それらすべてを創造し、治めておられる創造主なる神さまを認めるなら、その素晴らしさをほめたたえるしかありません。それらは天で歌われている御使いたちの賛美の声のようです。

「神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。」
ローマ人への手紙 1章20節

②神さまのみことばの声です。7~11節

これらの神さまの声を見ると、神さまのことばは単なることばではなく私たちに大きく働いて、私たちを「生き返らせ、賢くし、新しい力を与え、心に喜びを与えて、心も体も健やかにしていく」力があります。これは自然界の声が与えることのできないものです。自然界の声は、神さまを認めさせその素晴らしさ知らせますが、神さまのことばは、私たちを新しく創り変えてくれます。神さまとの正しい関係を教え、いのちと秩序と平安を与えてくれます。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出るひとつひとつのことばによって」生きるのです。そのように造られたのだから、そこに私たちのいのちがあるのです。

③私たちの内なる声、聖霊さまによる祈りの声です。11~14節

ダビデは、自分の良心の声、魂の内なる声に耳を傾けて神さまに祈っています。

12節「どうか、隠れている私の罪をお赦しください。あなたのしもべを傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。」
14節「どうか、私の口のことばと、私の心の思いとが、御前に受け入れられますように。」

自分の弱さ。足りなさ。神さまを認めない内なる心。この内なる祈りの声を聞くことが神さまを愛する礼拝者の祈りですね。ハレルヤ!

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