詩篇23篇の黙想①「私には欠けるところがない。」

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.2.27)より
聖書箇所:詩篇23篇 1節

「主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。」
詩篇23篇1節

「主は私の羊飼い」で始まるこの詩篇23篇の特徴は「主」と「私」、「イエスさま」と「私」という関係について深い黙想を与えてくれます。「主は私たちの羊飼い」ではなく「主は私の羊飼い。」という関係の告白です。「主は私を伏させ」「主は私を伴われます」「主は私のたましいを生き返らせ」「私を導かれる」「あなたが私とともにおられ」「あなたのむちと杖が私の慰めで」「あなたは私の前に食卓を」。。。23篇すべての節が「主」と「私」、「イエスさま」と「私」の関係です。これはとても大切なことです。私が洗礼準備クラスにおいて必ず確認する大切なことがあります。イエスさまの十字架が「私の罪」のためであるという告白です。「私たちの罪」とか「人類の罪」ではなく、この「私」の罪のためであるいう確信です。それがイエスさまとあなたの関係だからです。イエスさまを、どこまでも自分の事として知ること、私の事として経験することが最も重要なことです。人の体験ではなく、あなたと神さまの直接的な関係、体験があなたの信仰の歩みを決めていきます。その意味で、この詩篇23篇の黙想は、「あなたにとって、あなたの神さまとはどのようなお方か」を黙想する良い機会となります。

主が羊飼いで、私がその世話を受ける羊だということです。

これは健全な教会の物差しでもあります。牧師やリーダーが羊飼いではありません。イエスさまが羊飼いであり、イエスさまを指し示すのが牧師やリーダーの務めです。

「羊の習性」を調べてみると

第一に、羊は臆病で弱虫です。群れをはぐれてしまった羊を捕まえようとすると、不安と恐怖心で逃げてばかりで捕まらないそうです。
第二に、羊は迷いやすいです。目が悪いということもありますが、実際、羊は羊飼いに連れられて毎日行き来している道を自分では帰れず、すぐ迷ってしまうそうです。こんな方向感覚の悪い動物は他にいません。
そして第三に、羊はとても頑固です。羊は従順な一面もありますが、反面、頑固で,羊飼いに逆らって自分勝手に進んで行きます。

だから私には羊飼いが必要なのです。

そして主が良い羊飼いであられるので、私には乏しいことがないのです。私が完全であるからではなく、羊飼いが完全であるから「私には欠けるところがない」のです。ハレルヤ!

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