「皮の衣。その②」創世記マスタープラン 学び第34回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2021.10.17)より
聖書箇所:創世記 3章20節~21節

「人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が、生きるものすべての母だからであった。
神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。」

②皮の衣

「エバ」と呼んだそのアダムの告白を聞いて、神である主もある行動に出ます。「アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられました。」二人が自分の裸を隠すために作ったいちじくの衣は、永続的なものではなく、すべてを覆うものでもありませんでした。そこで神である主は、そのあわれな状態にある二人のために、主ご自身で「皮の衣」を作り、着せられます。神さまが自ら動物を殺して、血を流し、その毛皮を使って衣を作り、二人に着せてくださるのです。この「皮の衣」が作られる為には、動物のいのちが犠牲となっています。それは、罪の代価を支払うためには、いのちの犠牲が必要だったからです。そしてその罪の代価は自分たちの手作りで補えるものではなく、自分たちの努力で覆えるものでもありませんでした。

このことは、やがて神の御子であられるイエスさまが十字架で血を流され、

人類のすべての罪の贖いのために、いのちを捧げられることの予表でもありました。「エバ」=「ここにいのちがある」と信じる者に与えられる「衣」であります。その「皮の衣」とは、体全体を覆うガウンのようなものでした。この「衣」に当たるヘブル語は、「ケトーネッセ」と言うことばであり、それはやがて大祭司や祭司たちが着る装束、またヤコブが最愛の子ヨセフに着せた長服を意味するようになります。特別に愛された者や、神と人との仲介を果たす務めをゆだねられた者たちが着る装束、長服、これが「ケトーネッセ」なのです。

この衣がアダムとエバの裸を完全に覆って、その恥を覆ってくださったのです。

それが「義の衣」であり、イエスさまによって着せられる「救いの衣」です。すべてを覆い尽くす神の愛です。神さまの愛で覆われるとき、もう私たちは言い訳しなくて良くなるのです。

「ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い衣(長服)を持って来て、この子に着せなさい。手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい。」
ルカの福音書15章22節

「自分の子」である者に着せる「一番良い衣」「長服」とは、天のお父さんの最も愛するひとり子イエスさまの流された身代わりの血による「贖いの衣」であり、それは同時に「義の衣」「白い衣」「救いの衣」であるのです。「それを着せなさい」と。

あなたはその衣を着ていますか。その衣が天の御国のパスポートです。ハレルヤ!

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