【七つの武具:3】「眠りの霊vs平和の福音の靴①」 神の七つの武具:学び第6回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2022.6.26)より
聖書箇所:エペソ人への手紙 6章10節〜18節

「足には平和の福音の備えをはきなさい。」15節

さぁ、神の武具を取るシリーズも3つ目の武具に入ります。まず、あなたの足元を見てください。登山をするときも、ジョギングするときも靴を選ぶことは大切です。ドラムを叩くときも靴は大切な要素です。信仰生活の日々においても、私たちは何の靴を履いているか日々確認することは大切です。家を出るとき、職場に行くとき「平和の福音のくつ」を履いていくんだ!と準備して出て行くなら、その日一日の捉え方が変わってきます。さて今回の学びのスタイルとしてまずはサタンの策略から確認してみましょう。

サタンの策略その③「眠りの霊=妥協の霊」

「主はあなたがたの上に深い眠りの霊を注ぎ、預言者というあなたがたの目を閉ざし、先見者というあなたがたの頭をおおわれた。」
イザヤ書 29章9節~12節

エルサレムの民が、神さまの声に鈍くなっていることを逆説的な表現で、神さまがイザヤを通して語っています。「ダビデが陣を敷いた都よ。」繁栄したエルサレム、その祭りの宗教性に対して神さまが嘆いておられます。私たちが「眠りの霊」にやられてしまうと、まずみことばの啓示が受け取れなくなります。みことばを聞いてはいるけど霊に響いてこない、何を言っているのか分からない、それは酔っている状態と似ています。覆いがかけられている状態です。すると新しいチャレンジがなくなってきます。新しい喜びがなくなってきます。今まで通りでいい、今は上手くいってる、調子が良い。今のままの安定を求めるようになる時、目が閉ざされて眠くなります。そしていつの間にか神さまの声ではなく、この世の方法で生活し、この世の考えで礼拝がささげられてしまう。アモスはそのような状態を、みことばの飢饉だと言います。

「見よ、その時代が来る。──神である主のことば──そのとき、わたしはこの地に飢饉を送る。パンに飢えるのではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことの飢饉である。」
アモス書 8章11節

また、マタイの福音書 13章14節~15節でも「この民の心は鈍くなり、耳は遠くなり、目は閉じているからである。」と表現されます。

眠りの霊の特徴は、情熱を失ってしまい、神さまの声に鈍くなることです。繁栄、安定、停滞、宗教行為の満足へと、私たちの神さまとの関係が変わってしまいます。
サタンは私たちが気づかないうちにこの世の方法に妥協するように仕向けてきます。そしてそれが長く続くと、私たちは動けなくなります(ベテスダの人たちのように)。できない理由ばかり考えてしまう。今のままでいい。変わりたくない。捨てたくないと。。。
さぁー、そのようなサタンの策略に対して身につけなければならない武具があります。(続く。)

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