「主に推薦される人。その②」2コリント学び第17回

「コリント人への手紙第2」学び 第17回(2018.11.25)
 聖書箇所:コリント人への手紙第2 10章12節~18節

「自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です。」18節

神さまに用いられやすい器として、神さまのお気に入りの器として、神さまに推薦される器として主と共に働きができるなら、それは最高の喜びです。
自分を誇り、人に認めてもらいたいという思いからミニストリーに熱心になることは、神さまのみこころではありません。
だからと言って、何もしない。。。のは、神さまの創造の目的から外れてしまいますね。
神さまに推薦される、尊いことに用いられる器とは?

大きな家には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。また、ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用います。」聖書箇所 テモテへの手紙第二 2章20節~21節

ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。
すなわち、①聖められたもの、②主人にとって有益なもの、③あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。

①聖められた器
私たちから神さまへの行為ではなく、神さまが私たちを聖別してくださることを知る。
私たちの行いが先ではなく、神さまの内にある存在(立場)が先であり、その事を知るとき本当の行いが伴ってきます。
いや、変えられていくのです。

②有益な器。
有益な」とは、「用いやすい」「役に立つ」という意味です。
頑固で強情な器は、神さまに用いられにくいことがあります。
主人にとって有益であるためには、自我が砕かれる必要があり、そのプロセスを私たちは通ります。

③良いわざに間に合う器。
準備された器」という意味です。
どのような時にも、どんな場所でも、主にあって良いわざを行うために、「良く準備され、整えられた器」でありたいと願います。
主の備えてくださる御業を喜びましょう。
自分ではなくて、主を!
それが「誇る者は、主を誇りなさい。」という生き方ですね。
主をほめたたえましょう!

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