「ワーシップに対する挑戦」ルカの黙想:学び第2回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.2.19)より
聖書箇所:ルカの福音書 4章1節〜13節

「さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダンから帰られた。そして御霊によって荒野に導かれ、四十日間、悪魔の試みを受けられた。その間イエスは何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。」
ルカの福音書 4章1節~2節

第一のテスト

アダムが罪を犯して以来、私たちは自分で土地を耕し、労してパンを得なければならなくなりました。パン(糧)は生きるためにどうしても必要なもので、人はこのパンを得るために働き労していると言っても過言ではありません。しかし、霊的な存在として神に似せて造られた人間が、本当のいのちをもって生きるためには、神さまとの交わりの中で語られる生きたことばが必要であり、そのことばによって、私たちははじめて生きる意味を見出すことができるようになります。イエスさまは肉体的な必要だけで生きるのではないと、それを退け、神の口から出るみことばに信頼することを示しました。それは、私たちのワーシップの本質に対する挑戦でもあります。

第二のテスト

イエスさまの受けた誘惑のふたつ目は、「私はこの世の国々とその栄華を、すべてあなたにあげよう」という人を支配する誘惑、権力への誘惑です。サタンの誘惑は、愛よりも権力、仕えることよりも支配したいという気持ちに働きかけてきます。クリスチャンのリーダーシップは仕えることです。それはイエスさまご自身の生き様でもあります。

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられた。・・・自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」
ピリピ人への手紙 2章6節~8節

私たちのワーシップの性質に対する挑戦でもあります。

第三のテスト

「神殿の頂から下に身を投げて、御使いの腕に抱きかかえられるところを見せなさい」という誘惑は、まさに人々の注目を浴び、大きな称賛を得たいという気持ちに働きかけてきます。人から認められたい、称賛されたいという欲求はいつの時代においても変わることはありません。礼拝の場という神殿の本来の目的を見失わせ、自分の力を示す場所として誤用させるための誘惑です。イエスさまは「あなたの神である主を試みてはならない。」というみことばで勝利されます。神さまだけに栄光があるのです。私たちのワーシップの目的に対する挑戦でもあります。

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