「間違った思い」ルカの黙想:学び第19回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.6.18)より
聖書箇所:ルカの福音書 9章46節〜56節

イエスさまの基準と、この世の基準は全く異なります。イエスさまを信じた後も、私たちの思いの中では神の国の価値観ではなく、この世の価値観で心が支配されてしまうことがあります。

①「だれが一番えらいか」

「さて、弟子たちの間で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。しかし、イエスは彼らの心にある考えを知り、一人の子どもの手を取って、自分のそばに立たせ、」
ルカの福音書 9章46節~47節

私たちの間違った思いの基準の一つが、いつも心の中で他の人と比べて優越感や劣等感を抱いてしまうことです。「私が一番えらい」とは思わないにしても、「あの人よりはまし!」と、誰かをおとしめることによって自分の地位を保とうとします。「だれが偉い」とは、少しでも人より認められたいという思いですね。イエスさまは、そんな弟子たちの心をすっかりお見通しで、「皆の中で一番小さい者が、一番偉いのです。」と言われます。イエスさまが言われる一番へりくだっている者とはどんな人でしょうか?その答えが「わたしを受け入れる者」です。すべての動機と目的をイエスさまに置くことができる人といえるでしょうか。バプテスマのヨハネが告白したように「あの人が盛んになり私は衰えなければなりません」(ヨハネ3:30)という心こそ、真の謙遜かと思います。

②「ミニストリーをやめさせようと」

「さて、ヨハネが言った。「先生。あなたの名によって悪霊を追い出している人を見たので、やめさせようとしました。その人が私たちについて来なかったからです。」しかし、イエスは彼に言われた。「やめさせてはいけません。あなたがたに反対しない人は、あなたがたの味方です。」
ルカの福音書 9章49節~50節

このときの弟子の心は、自分たちこそ、自分たちだけがイエスさまに認められていると誇り、自慢げに他の人の働きを批判し、やめさせようとします。弟子たちの間違った思いは「その人が私たちについて来なかったから」です。「イエスさまに従わないから」ではなく、「私たちに従わないから」私たちに敵対していると言うのです。イエスさまの名を勝手に使って私たちの真似をしていると。私たちの自己義が、神の国の働きを妨げてしまう要因となることがあります。教団・教派の違いからこのような考え方を私たちもしやすいです。でも、イエスさまは言われます。「やめさせてはいけません。あなたがたに反対しない人は、あなたがたの味方です。」

きょう、私たちの内にもそのような思いがあることを認めて、イエスさまの十字架を見上げて悔い改めましょう。イエスさまは山上の垂訓で「柔和な者は幸いです。」と言われました。柔和な心、それは新しくされた者の性質です。本物の強さ、自我が砕かれた人の心ですね。イエスさまの心が与えられるように祈りましょう!

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