「表裏不一致」ルカの黙想:学び第25回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.7.30)より
聖書箇所:ルカの福音書 11章37節〜54節

6つのわざわい(表裏不一致)

今日の箇所は、6つのわざわいと言われる箇所です。パリサイ人、律法の専門家たちに対して、外見や表面上は立派に律法を順守しているように見せかけますが、内面は強欲と邪悪で満ちていると、イエスさまが厳しく戒めている場面です。表と裏が一致しない、外面と内面が一致しない“表裏不一致”に対して、イエスさまが激しく糾弾しています。

そもそも事のきっかけは、食事のきよめのしきたりです。イエスさまは手を洗うことはされませんでしたが、きよいお方でした。しかし、形式やうわべだけを重視する人は、しきたりを守らないことを批判し、すぐに罪に定めます。それは、外見のきよさに囚われているからです。そんなパリサイ人たちに対して言われた「6つのわざわい(表裏不一致)」を確認しつつ、私たちの信仰の歩みにもそのような形式にとらわれていることがないか、確認してみましょう。

①律法の要求以上にすべてのものの十分の一を納めていることに自ら誇っている。

ミント、うん香などの香辛料まで、徹底的に十分の一をささげていることに誇りを持っている。しかし、彼らは人々に対して愛を注がず、神さまに対する愛も失っていた。一番重要なことがおろそかになっていた。

②自分たちをあたかも聖人のように錯覚して、人からの認められることに興味を持っていた。

地位や名声を好む生き方です。それが彼らのアイディンティティでした。

③外側は立派な宗教人であったが、彼らは死体が納められている隠れた墓のようだと。

罪人との接触によって自分が汚れると思い上がっているが、彼らの行為も知らないうちに人々を汚れさせていると。良きサマリヤ人のたとえのようです。

④モーセの律法にさらに規制を付け足して人々を拘束しながら、自分たちは抜け道を考えている偽善的な宗教家であると。

自分の重荷は押し付け、人の重荷は負おうとしない。

⑤預言者たちの墓を建て、表面的には彼らを敬っているかのように装いながら、実際には預言の成就である救い主イエスさまを拒むことにより、結局は預言者たちの教えを拒んでいる。

それにより、イエスさまの血が流されることになる。

⑥間違った律法解釈と神学を築き上げることにより、神さまの知恵から人々の目をくらませ、迷わせ、神の国に入ろうとする人々を結局は妨害している。

それは「知識の鍵」を取り上げているということなのだと。

私たちも聖霊さまによって、裏表のない純真な心へときよめられることを切に求めていきましょう。ハレルヤ!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする