「本物の福音」ルカの黙想:学び第29回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.8.27)より
聖書箇所:ルカの福音書 13章 1節〜9節

「そんなことはありません。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」
ルカの福音書 13章5節

ピラトによって迫害された、反ローマをかかげるガラリヤ人に対する虐殺がイエスさまに伝えられました。どうしてそのようなことが起こったのか。あの人たちは災難にあったのだから、何か自分たちより罪深い人だったのではないのかと、人と比べてむなしい義を立てようとする人たちがいます。シロアムの塔が崩れたのも同じことではないかと。

ここでのテーマは「悔い改め」の重要性です。

私たちはだれかが災難に遭うと、それは、彼らは「罪が深かったから」そのような災難を受けたのだと原因を確定したくなります。生まれつき目の見えない人に対して、弟子たちがイエスさまに問うた質問に似ています。しかしイエスさまは、罪の深さや大きさを問題にはしません。「そうではない。」と。大切なことは、すべての人が罪を悲しんで「悔い改める」ことだと言うのです。分かりやすく言うなら、悔い改めがないなら、災害に遭おうと遭うまいと関係なしに滅びを招くという事です。重要なことは、あなたには「悔い改め」がありますか?という問いです。そのことを教えようとしたのが、「いちじくの木を植えた主人とその番人」のたとえ話です。

ぶどう園の主人は、いちじくの実がなるのを

これまで3年間待ったのですが(完全数=十分な期間を待った)、一向に実を結ぶ気配がありません。それは、真の悔い改めがないからです。ところがその木を世話している番人は、「今年一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥しをやってみますから」と言って、切り倒すことを延期するよう主人に頼み込んでいます。仲介者であるイエスさまの姿ですね。では、この木は実を結ぶでしょうか?答えは書いてありません。でも、一つ言えることは、真の悔い改めがなければ実を結ぶことはできません。本物の福音は、私たちに神さまへの徹底した悔い改めを要求します。すなわち、イエスさまの十字架による罪の赦し、罪からの救いを指し示します。

単なるご利益的な福音は、不安からの解放、孤独感からの救い、

病の癒しという人間中心的な救いへと福音を捻じ曲げてしまいます。そこには、真の実を結ぶことはありません。神さまの主権ではなく、自分が主権を握っているからです。それらの祝福は、おまけです。真の悔い改めには、実が見えるのです。生き様が変えられていく、信仰の歩みが見えるのです。私たちは、本物の福音を伝えましょう!そこには聖霊の実が結ばれていきます。ハレルヤ!

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