「安息日の祝福」ルカの黙想:学び第30回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2023.9.3)より
聖書箇所:ルカの福音書 13章 10節〜21節

18年ぶりに悪霊から解放され、体を真っ直ぐに伸ばし、神を賛美する

この箇所に登場する、18年間腰が曲がった女性の癒しは他の福音書には出てきません。ルカは彼女の症状を「病の霊」につかれていると説明しています。イエスさまも「サタンが縛っていた」と明言しています。彼女にとってその18年はとても苦しく、その病のため人々からさげすまれてきたことでしょう。しかし彼女は、不自由な中でも安息日には会堂の前に来て礼拝しています。もしかしたら人々から同情はされたかもしれませんが、サタンの縛りから解放してくれる人はいませんでした。

その日も、人々がイエスさまのことばに集中して聴いていると、イエスさまはふと話を中断して、だれも気にとめようともしないその女性に目を留めます。彼女が「イエスさま、私を癒してください」と頼んだわけではありません。ただイエスさまの目に留まっただけです。しかし、それで十分でした。イエスさまが手を置き、解放を宣言すると、ただちに女性は悪しき霊から解放されて、18年ぶりに体を真っ直ぐに伸ばし、神さまをあがめて賛美をささげます。その安息日は、彼女にとって長い苦しみと痛みから解放された日になりました。その喜びは、どれほど大きかったことでしょう。

この後、女性が本当の安息を知り、解放されたことに対して憤る者たちが出てきます。本当の安息が与えられたことより、律法によって安息を縛ろうとする人たちがいます。イエスさまは、彼らに対して、あなたがたの家畜にでさえ安息日に水を与えるのに、アブラハムの娘であるこの女性にいのちの水を飲ませてあげるのは当然のことではないかと説くのです。わたしはそのために来たのだと言うのです。そして群衆に向かって「神の国」がどのようなものかについて、たとえをもって話されます。

神の国はからし種のように、その始まりは

非常に小さいことから起こります。しかし、イエスさまがその女性に触れられることで、すべてが変わったのです。その癒しは彼女だけではなく、周りの人たちにも喜びが与えられていきます。その希望は失われることなく成長していきます。その祝福は広がっていき、多くの人々に良い知らせとなります。しかし、神さまの祝福が溢れるときにサタンの策略があることも事実です。成長した木にカラス(鳥)が来て巣を作ります。必ず、教会に問題が出てきます。パン種のたとえも同じです。祝福はありますが、パン種は、偽りの教えだったり、罪に対して妥協してしまう人間の弱さです。サタンの策略です。それが教会全体を膨らませてしまうと、もう一度真理に戻すためには相当の痛みを通ります。私たちも、いつもイエスさまが言われる本質に目が開かれていくように祈りつつ、神の国を求めていきましょう!安息日の主に、ハレルヤ、感謝します

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