「イエスさまのワーシップ」ルカの黙想:学び第53回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2024.2.25)より
聖書箇所:ルカの福音書 23章 44節〜46節

イエスは大声で叫ばれた。「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。
ルカの福音書 23:46

十字架はイエスさまの最高のワーシップでした

「ゆだねる」という言葉は「〜の前に置く」という意味があります。それは、まな板の鯉のような窮地に立たせられても慌てることなく、自分の身をなすがままにさせているような状態です。たとえその状況が最悪で、闇の中に自分を投げ打つような時でも、それでも父なる神さまが自分を受けとめてくださるという信頼をもってささげるのがワーシップです。「御手にゆだねます」と仰っていますから、神の御手の前に自分自身を置くというのです。神さまの御手が祭壇のようですね。まさに、神さまの御手の上に自分自身をささげたのです。私たちが窮地に立たされるとき、慌てて、あたふたしながら、何か得策を考えて物事を動かそうとしているなら、それはまだ自分の頑張りでまな板の上でバタバタしている状態です。しかし、もうあたふたする力もなくなり、自分を神さまの御手にゆだねるとき、本当の意味で神さまが私たちを受けとめ、主の平安であなたを守られます。

「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
ピリピ人への手紙 4章6節

何も思い煩わないでとは、神の子どもとしてのアイデンティティーから生まれるものです。しかし、何も思い煩っていないなら神さまに願い事を祈る必要もないように思えます。でも、天のお父さんにすべてをゆだねるからこそ、私たちは、すべての恥も、誇りも、悔い改めも、感謝も祈ることが出来るのです。祈りは、神さまへの最高のワーシップでもあるのです。神さまは、私のことをすべてのことを知っておられます。でもその上で「耕二、お前の口から真実な告白を聞きたいんだ。」と願っておられるのです。そしてそれが、あらゆる場合に感謝をもってささげる祈りとなるのです。イエスさまの十字架上の祈りは、いつもの告白だったのです。

私たちが神さまに心からの感謝をもって告白するとき

私たちのすべての理解を超えた神さまの平安が、あなたの心と思いを守ってくれるんです。私の正しさを超えた神さまの正しさが私を守ってくれる。私の赦しを超えた神さまの赦しが、私の理解を超えて私を包んでくださる。私の意志を超えた神さまの意志が、私の心と思いを守ってくださるのです。イエスさまが、私のたましいの領域を勝ち取って、守ってくださるというのです。イエスさまの十字架から流れる恵みとまことが、あなたの心をあらゆる攻撃からプロテクト(防御)してくださるのです。だから私たちすべきことは、感謝をもって私たちの祈りと願いを知っていただくこと、告白することだけです。ハレルヤ!

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