「大きな石」ルカの黙想:学び第55回

岡崎ホープチャペル発行の週報(2024.3.10)より
聖書箇所:ルカの福音書 24章 1節〜11節

「お前がキリストなら自分を救え」と罵られながら

ご自身のからだを天の御父にゆだねられたイエスさま。週の初めの明け方早く、日曜日の朝、女たちがイエスさまのからだに香料を塗るために墓を訪れます。彼女たちは悲しみの中、墓を塞いでいる大きな石をどのように動かさそうかと心配していました。しかし、その心配は取り越し苦労に終わります。大きな石はすでに墓からわきに転がされており、イエスさまのからだはなかったのです。準備しておいた香料も使う必要がなくなりました。これが復活の出来事です。 イエスさまの復活の話をすると、多くの人々は「そんな馬鹿なことがあるか。そんなこと信じているのか。」と笑うかもしれません。それが素直な気持ちだと思います。実際に、当時のイエスさまの弟子たちも、その周りにいた人たちも、誰もイエスさまの復活を信じれなかったのです。

「この話はたわごとのように思えたので、使徒たちは彼女たちを信じなかった。」ルカの福音書 24章11節

復活という出来事は、とても信じることの出来ない大きな出来事でした。

本当に敬虔な女たち(マグダラのマリヤ、ヨハンナ、ヤコブの母マリヤたち)でさえ、イエスさまから復活のことを聞いていたのに信じていなかったのです。誰も信じれなかったほどの復活が事実だったからこそ、その驚きも、その喜びも、2000年もの年月を経ても宣べ伝えれ、今も、私たちはその喜びの中で復活の望みに預かっています。

復活の象徴は、その大きな石がすでに転がされてあったことです。

ローマ兵の番兵がしっかりと見張りをしていて、触れることができない大きな石。たとえ触れることができたとしても、女性たちでは動かすことができないほどの大きな石。それは、私たちの上にのしかかっていて、どんなことをしても取り除くことができない「罪と死」という大きな石のようです。サタンはその大きな石で私たちの喜びを塞ごうとします。でもイエスさまの十字架と復活は、その大きな石を完全に取り除けました。それが復活の出来事です。誰ひとり、神さまからの裁きを免れることはできません。

罪から来る報酬は死です

それは私たちでは動かせないのです。しかし復活の朝、すでにその石は転がっていたのです。これが福音です。イエスさまの復活を信じる者には、その日から神さまの新しいいのちが与えられます。石の心が取り除けられ、いのちの御霊が生きるようになります。終わりではなく、始まりになった日がイエスさまの復活です。きょう、あなたの大きな石が取り除けられ、闇から光が輝き出す日となりますように。ハレルヤ!

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